奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41205 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132406 件
( 前年度比 + 1721 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147517 件
( 前年度比 + 2091 件 )
現在の文化財論文件数
120560 件
( 前年度比 + 1563 件 )
現在の文化財動画件数
1297 件
( 前年度比 + 113 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1247 件
( 前年度比 + 197 件 )
※過去開催分含む

千音寺遺跡第9次発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/131463
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.131463
引用表記 株式会社四門名古屋支店 2023 『千音寺遺跡第9次発掘調査報告書』名古屋市緑政土木局道路建設部道路建設課他
株式会社四門名古屋支店 2023 『千音寺遺跡第9次発掘調査報告書』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=泰之|last=樋田|first2=順|last2=林|first3=俊哉|last3=坂野|first4=剛|last4=鬼頭|first5=茂|last5=伊藤|first6=弘展|last6=竹原|title=千音寺遺跡第9次発掘調査報告書|origdate=2023-03-17|date=2023-03-17|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/131463|location=名古屋市中区三の丸三丁目1-1|doi=10.24484/sitereports.131463}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 千音寺遺跡第9次発掘調査報告書
発行(管理)機関 名古屋市 - 愛知県
書名かな せんのんじいせきだい9じはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
株式会社四門名古屋支店
発行機関
名古屋市緑政土木局道路建設部道路建設課
名古屋市教育委員会事務局生涯学習部文化財保護室
発行年月日 20230317
作成機関ID 231002
郵便番号 4608508
電話番号 0529723269
住所 名古屋市中区三の丸三丁目1-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 千音寺遺跡
遺跡名かな せんのんじいせき
本内順位
遺跡所在地 愛知県名古屋市中川区富田町千音寺平毛・無田居・上前田畔・猪ノ木
所在地ふりがな あいちけんなごやしなかがわくとみだちょうせんのんじひらげ・むらい・かみまえだぐろ・いのき
市町村コード 231002
遺跡番号 13-15
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350958
東経(世界測地系)度分秒 1364832
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.166111 136.808888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210906-20211228
調査面積(㎡)
4180
調査原因 市道建設工事
遺跡概要
種別
散布地
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
道路跡
井戸
掘立柱建物
主な遺物
須恵器
土師器
木製品
灰釉陶器
中世陶器・土師器
近世陶磁器
特記事項
要約  千音寺遺跡の過去の調査は、包蔵地南部の調査が大半であり、主として① 12 世紀後半~ 13 世紀の屋敷地②近世以降の水田及び島畑状遺構が確認されている。本調査 1 区南部の 8 次調査でも中近世の島畑状遺構が検出されていた。
 1 区では古代から中世、一部においては近世にかけての遺構が確認された。調査区北部では 7 世紀前後の掘立柱建物の一部が検出された。9 世紀までには自然堤防周辺の低地部でも耕作が開始されており、原始灰釉陶器の長頸瓶などが埋納された大井戸が1基営まれていた。10 世紀頃には低地部に単独の曲物井戸1基のほか、自然堤防上にも側溝を備えた幅一間の道路が設けられた。12 世紀から 13 世紀までには調査区南部でも大小の溝や素掘りの井戸が営まれており、耕作地が展開していた。自然堤防末端を大規模に掘削し築かれた土堤・溝や、単独の曲物井戸もみられた。近世以降は現代に至るまで調査区の大部分は水田として利用され続け、同時に南部では埋葬地としての利用もされていた。
 2 区では 13 世紀の墓壙が確認され、伊勢鍋や山茶碗が副葬されていた。基本的には中世以降現代に至るまで、集落に隣接した耕作地や埋葬地であった。
 3 区では 8 世紀代の須恵器が発見されたが遺構は見つかっていない。11 世紀代には調査区西部〜中部での活動の痕跡がみられ、井戸や溝、土坑などを検出した。13 世紀〜 15 世紀を通じて使われた溝からは中世〜近世の多様な遺物が出土した。東部は中・近世から現代に至るまで耕作地として使われていた。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 495
ファイルダウンロード数 : 343

全国のイベント

外部出力