奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41247 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132429 件
( 前年度比 + 1744 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

平城京左京四条六坊八坪・奈良町遺跡(HJG11次)

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129433
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129433
引用表記 公益財団法人元興寺文化財研究所 2022 『平城京左京四条六坊八坪・奈良町遺跡(HJG11次)』公益財団法人元興寺文化財研究所
公益財団法人元興寺文化財研究所 2022 『平城京左京四条六坊八坪・奈良町遺跡(HJG11次)』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲也|last=瀬戸|first2=洋|last2=江浦|first3=亜聖|last3=佐藤|first4=智広|last4=三谷|first5=繁生|last5=山口|first6=直見|last6=植田|title=平城京左京四条六坊八坪・奈良町遺跡(HJG11次)|origdate=2022-03-31|date=2022-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/129433|location=奈良市中院町11番地|ncid=BC16593668|doi=10.24484/sitereports.129433}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 平城京左京四条六坊八坪・奈良町遺跡(HJG11次)
発行(管理)機関 元興寺文化財研究所 - 奈良県
書名かな へいじょうきょうさきょうしじょうろくぼうはちつぼ・ならまちいせき
副書名 令和2年度発掘調査報告書
巻次
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人元興寺文化財研究所
発行機関
公益財団法人元興寺文化財研究所
発行年月日 20220331
作成機関ID
郵便番号 6308392
電話番号 0742231376
住所 奈良市中院町11番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 平城京左京四条六坊八坪・奈良町遺跡(HJG11次)
遺跡名かな へいじょうきょうさきょうしじょうろくぼうはちつぼ・ならまちいせき
本内順位
遺跡所在地 奈良市上三条町2-6
所在地ふりがな ならしかみさんじょうちょう
市町村コード 29101
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344053
東経(世界測地系)度分秒 1354932
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.681388 135.825555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200515-20200701
調査面積(㎡)
360
調査原因 店舗建設
遺跡概要
種別
時代
古墳
奈良
平安
鎌倉
主な遺構
土坑
井戸
掘立柱建物
主な遺物
土師器
瓦器
陶磁器
鍛冶関連遺物
銭貨
鉄刀
五輪塔
獣骨・貝・牛骨
埴輪
特記事項 中世に遡るまとまった金属生産遺物、動物骨角加工関連遺物が出土した。
要約 本調査区は平城京左京四条六坊八坪の北東端かつ、中世から近世を中心とした奈良町遺跡に当たる。確実な土地利用は11~12世紀の整地層であるが、出土遺物が小片のため断定できないが、古代に遡る可能性がある掘立柱建物1基を検出している。また、埴輪が出土しており、周辺には古墳があったことも想定される。12~14世紀には調査区東半では整地層と共に土坑や溝が検出している。15世紀~17世紀前半には全面的に遺構が展開し、掘立柱建物2基、溝、井戸、土坑などを検出した。東西方向に走る溝は南接する率川神社との現在の境界より北側に位置しており、当時はその敷地範囲が異なっていたことが想定される。当該期には大量の鉄滓や、加工痕がある骨、漆付不明製品などがあり、多様な生産活動が行われていたものと思われる。17世紀後半以降は遺物・遺構が少なくなり、大規模な土地造成がなされたものと考えられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 274
ファイルダウンロード数 : 276

全国のイベント

外部出力