奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41246 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

原遺跡第6次調査概要報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129164
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129164
引用表記 岩沼市教育委員会 2022 『宮城県岩沼市文化財調査報告書29:原遺跡第6次調査概要報告書』岩沼市教育委員会
岩沼市教育委員会 2022 『原遺跡第6次調査概要報告書』宮城県岩沼市文化財調査報告書29
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=隆央|last=川又|first2=裕光|last2=武田|first3=篤|last3=熊谷|title=原遺跡第6次調査概要報告書|origdate=2022-03-31|date=2022-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/129164|location=宮城県岩沼市桜1丁目6- 20 |ncid=BC15687449|doi=10.24484/sitereports.129164|series=宮城県岩沼市文化財調査報告書|volume=29}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 原遺跡第6次調査概要報告書
発行(管理)機関 岩沼市 - 宮城県
書名かな はらいせきだいろくじちょうさがいようほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 宮城県岩沼市文化財調査報告書
シリーズ番号 29
編著者名
編集機関
岩沼市教育委員会
発行機関
岩沼市教育委員会
発行年月日 20220331
作成機関ID 04211
郵便番号 9892480
電話番号 0223230844
住所 宮城県岩沼市桜1丁目6- 20 
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 原遺跡 第6次
遺跡名かな はらいせき
本内順位
遺跡所在地 岩沼市南長谷字原
所在地ふりがな いわぬましみなみはせあざはら
市町村コード 042111
遺跡番号 15053
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 380503
東経(世界測地系)度分秒 1405103
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.084166 140.850833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210706-02211224
調査面積(㎡)
755
調査原因 範囲・内容確認調査
遺跡概要
種別
集落
官衙
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物跡
柱列跡
竪穴建物跡
大型土坑
溝跡
土坑
主な遺物
灰釉陶器
須恵器
土師器
金属製品
土製品
石製品
特記事項 官衙中枢施設を区画するとみられる大溝跡のコーナー部分を確認した。また、7世紀代としては宮城県内でも最大規模となる大型竪穴建物跡を発見した。遺物では灰釉陶器、小型の鉄刀、雁又式・平根式鉄鏃などが出土した。
要約  原遺跡が所在する岩沼市南西部の玉崎地区は、『延喜式』に記載される「玉前駅家」、多賀城跡出土木簡にみられる「玉前剗」の比定地とされてきた。平成28年度の圃場整備事業に伴う第1次調査では、掘方規模の大きい柱穴跡、美濃地方で生産されたと考えられる須恵器円面硯が発見され、また翌29年度に実施した第2次調査では墨書土器や材木塀が発見されたことから、官衙関連施設の可能性が考えられるようになった。さらに平成30年度に実施した第3次調査では、主軸が真北方向となる桁行10間、梁行3間の長舎が同位置で建て替えが行われていることが判明し、建物の機能した時期は8世紀前半から後半と考えられるなどの成果が得られ、第4次調査では8世紀代から9世紀代の掘立柱建物跡を確認し、官衙中枢施設が移動している可能性が考えられるようになった。一方、第5次調査では、第3次調査で発見された長舎と一連の施設と考えられる掘立柱建物跡や9世紀代の区画溝を確認し、官衙中枢施設の広がりや中枢施設移動後の土地利用の在り方が明らかになった。
 第6次調査は、第5次調査地の西側で実施した。確認した遺構は古代の竪穴建物跡6棟、大型土坑1基、溝跡10条、土坑・柱穴多数のほか、時期不明の井戸跡1基、近世土坑1基である。竪穴建物跡のうち、SI21021は東西9.6m、南北9.8mの規模をもち、7世紀代の竪穴建物跡としては宮城県内でも最大規模である。遺物では8世紀末葉から9世紀半ば頃にかけての土師器・須恵器を主体として、猿投窯跡群の製品と考えられるフラスコ形長頸瓶や市内の遺跡で初となる灰釉陶器などが出土した。金属製品ではSI21003の床面で小型の鉄刀が出土したほか、溝跡からは雁又式・平根式鉄鏃など遺跡の性格解明の糸口となりうる資料を得られた。発見された遺構のうち、平面形状でほぼ直角に曲がることが確認され、8世紀代につくられたと考えられるSD21002は、埋没過程で同位置での掘り直しが認められること、溝の主軸方位がほぼ真北であることから、官衙中枢施設を区画する溝のコーナー部分とみられる。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 299
ファイルダウンロード数 : 242

全国のイベント

外部出力