URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/122298
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DOI 二次元コード |
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DOI |
http://doi.org/10.24484/sitereports.122298
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引用表記 |
歴史公園鞠智城・温故創生館 2017 『鞠智城跡「特別研究」論文集5:鞠智城と古代社会』熊本県教育委員会
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歴史公園鞠智城・温故創生館 2017 『鞠智城と古代社会』鞠智城跡「特別研究」論文集5
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wikipedia 出典テンプレート :
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ファイル |
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書名 |
鞠智城と古代社会 |
発行(管理)機関 |
歴史公園鞠智城・温故創生館
- 熊本県
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有償頒布・配布ページ |
http://www.kumamoto-bunho.jp/index.html ※ 有償頒布・配布していない場合もあります |
書名かな |
きくちじょうとこだいしゃかい |
副書名 |
平成28年度鞠智城跡「特別研究」論文集 |
巻次 |
5 |
シリーズ名 |
鞠智城跡「特別研究」論文集 |
シリーズ番号 |
5 |
編著者名 |
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編集機関 |
歴史公園鞠智城・温故創生館
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発行機関 |
熊本県教育委員会
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発行年月日 |
20170311 |
作成機関ID |
43000 |
郵便番号 |
8628609 |
電話番号 |
0963831111 |
住所 |
熊本市中央区水前寺6丁目18番1号 |
報告書種別 |
年報・紀要・研究論集・市史研究等・文化財だより
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資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
タイトル |
八世紀(Ⅱ期~Ⅲ期)の鞠智城と肥後地域 ―新羅山城との比較検討から― |
英語タイトル |
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著者 |
近藤 浩一
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ページ範囲 |
1 - 40
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NAID |
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都道府県 |
熊本県
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時代 |
奈良
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文化財種別 |
史跡
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史跡・遺跡種別 |
城館
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
文献史学
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
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抄録(内容要約) |
本稿は、Ⅱ期~Ⅲ期の鞠智城を扱う。また、同時期に大宰府のもとで増改築された大野城・基肄城を含めた古代山城の倉庫群、とりわけ長倉にスポットを当て、比較的近い時期の新羅山城に存在した倉庫跡との関連性を検討した。 八世紀以降の大野城・基肄城・鞠智城に大宰府の主導で長倉(法倉)を中心とする礎石式倉庫群が形成された意義を、羅唐戦争前後の集権体制確立をめざした文武王代の新羅山城に建設された長倉・礎石式倉庫群の役割・機能と比較検討することで、一層具体的にできたと考える。九州の三城への倉庫群建設は、八世紀の東アジア交通の展開を見据えた大宰府の強化を目的にしたもので、新羅などの最先端の諸技術が投入されて一層発展した古代山城の姿をあらわしているといえる。 |
タイトル |
古代肥後の氏族と鞠智城 ―阿蘇君氏とヤマト王権― |
英語タイトル |
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著者 |
須永 忍
|
ページ範囲 |
41 - 61
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NAID |
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都道府県 |
熊本県
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時代 |
飛鳥白鳳
奈良
平安
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文化財種別 |
史跡
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史跡・遺跡種別 |
城館
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
文献史学
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テーマ |
制度・政治
軍事
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
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抄録(内容要約) |
六・七世紀の肥後における有力氏族、特に阿蘇君氏の 動向を追い、鞠智城との関係を考察した。阿蘇国造である阿蘇君氏が肥後北部に影響力を有しており、それによって鞠智城の築城を推進したと述べ、初期の同城が「官営」と「私営」の性格を併せ持つことを指摘した。 |
タイトル |
十世紀における国家軍制と鞠智城 |
英語タイトル |
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著者 |
野木 雄大
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ページ範囲 |
63 - 85
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NAID |
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都道府県 |
熊本県
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時代 |
平安
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文化財種別 |
史跡
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史跡・遺跡種別 |
城館
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
文献史学
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テーマ |
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
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抄録(内容要約) |
十世紀は、列島全体で新たな軍事的危機と大きな社会変動が起きた時期である。鞠智城の廃止もかかる動向と無関係ではないと考えられる。本稿では、十世紀の国家軍制と大宰府軍制の転換に焦点を当てることで、Ⅴ期の鞠智城を位置づけることを目的とする。 九世紀から十世紀にかけて、「秩満解任之人」「王臣子孫之徒」などの「留住」によって組織された「党」は、当該期の中央国家が直面した軍事的危機であった。かかる状況下において新羅海賊による有明海への侵攻が現実のものとなり、この段階で初めて有明海の防衛が意識される。ここに鞠智城の機能が倉庫から再び「城」へ変化し、軍事的活動を再開する要因があった。しかし、天慶の乱が勃発すると、既存の国家軍制では太刀打ちできず、中央は天慶三年正月十一日官符によって反乱側の軍事力でもあった「党」の組織を試みる。これが功を奏し、「党」の軍事力によって天慶の乱は鎮圧され、同官符は乱の鎮圧者の系譜が「兵」の家として確立してゆく契機となった。政庁の焼失という前代未聞の事態を引き起こし、軍事力の転換を迫られた大宰府軍制も「党」に相当する人々を組織し、刀伊の入寇をはじめとする軍事危機に対応していった。かかる国家軍制の転換によって鞠智城の軍事的意義は失われ、三百年続いたその長い歴史に幕を下ろしたのである。 |
タイトル |
AR・VR技術を応用した鞠智城跡整備の一例 ―城門遺構について― |
英語タイトル |
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著者 |
山口 裕平
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ページ範囲 |
87 - 106
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NAID |
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都道府県 |
熊本県
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時代 |
飛鳥白鳳
奈良
平安
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文化財種別 |
史跡
|
史跡・遺跡種別 |
城館
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遺物(材質分類) |
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学問種別 |
考古学
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テーマ |
保存修復
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他の電子リソース |
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引用表記 |
wikipedia 出典テンプレート :
{{Citation|first=裕平|last=山口|contribution=AR・VR技術を応用した鞠智城跡整備の一例 ―城門遺構について―|title=鞠智城と古代社会|date=2017-03-11|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/122298|location=熊本市中央区水前寺6丁目18番1号|ncid=BB12101709|doi=10.24484/sitereports.122298|series=鞠智城跡「特別研究」論文集|volume=5}}
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抄録(内容要約) |
本稿ではAR・VR技術を応用した鞠智城跡の遺跡整備について一考したい。検討対象とするのは深迫門、堀切門、池ノ尾門の三箇所の城門遺構である。 AR・VR技術を応用した鞠智城跡整備の一例として、城門遺構の検討を行い、その復元図を2D画像として提示した。こうした現実の風景にCG等の画像を重ねて表示させることで、来訪者には実際に見ている光景以上の情報が付加された光景として体感できる。遺跡整備の手法として有効で、今後主流になることは間違いない。しかしながら、付加した情報、例えば復元建物ならその考証が粗密である場合、来訪者にそれを説明できないままに一様のCG画像がリアルなものとして受容される可能性があるなど課題も残る。 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
鞠智城跡 |
遺跡名かな |
きくちじょうあと |
本内順位 |
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遺跡所在地 |
熊本県山鹿市菊鹿町米原ほか |
所在地ふりがな |
くまもとけんやまがしきくかまちよなばる |
市町村コード |
43208 |
遺跡番号 |
100 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
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東経(日本測地系)度分秒 |
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北緯(世界測地系)度分秒 |
330010 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1304700 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
33.002777 130.783333
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※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
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調査期間 |
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調査面積(㎡) |
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調査原因 |
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遺跡概要 |
種別 |
城館
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時代 |
古代(細分不明)
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主な遺構 |
掘立柱建物跡
礎石建物跡
貯水池跡
土塁跡
城門跡
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主な遺物 |
土師器
須恵器
瓦
墨書土器
木製品
木簡
仏像
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特記事項 |
古代山城 「秦人忍□五斗」木簡 銅造菩薩立像 |
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要約 |
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