Kyoto Prefecture
新発見!橘諸兄ゆかり、井手寺の五重塔か?
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昨年12月から調査をしていた京都府井手町の栢ノ木(かやのき)遺跡から奈良時代から平安時代初期に創建された五重塔跡が見つかりました。
場所は、木津川を望む高台の上、2町四方、すなわち一辺240mの井手寺跡の寺域から東に50mほどの地点です。
井手寺は奈良時代の左大臣橘諸兄が氏寺として奈良時代中頃に創建した大きな古代寺院です。井手町教育委員会の9年間の発掘調査により、金堂や食堂と考えられる遺構などが見つかっています。
今回見つかった遺構は東西15.3m、南北15.1m15.6mを測る方形の建物の基壇部分で、各辺の中央部分に階段が設置されており塔の基壇と考えられます。
基壇の周囲には、花崗岩やチャートなどの石を敷いた犬走と排水溝が見つかっています。基壇本体は、大きな花崗岩を積み上げた乱石積基壇で、残りの良い状況で発見されることは非常に珍しいです。
その規模、見事な石組みなどから当時の最高技術で建築された五重塔の姿が復元されます。
古代寺院の姿がこのような立派な姿で現在に伝えられたことは、私たちに大きな感動を与えてくれます。また、天然痘で権勢を誇った藤原四氏が病に倒れる中、聖武天皇を支えた橘諸兄、そのひ孫にあたり藤原氏以外で皇后となった嘉智子、その兄の右大臣の氏公など歴史上の人物がどのようにかかわったか想像するだけで当時にタイムスリップするようです。
この塔がいつどのように建設されたか今後の解明が期待されます
場所は、木津川を望む高台の上、2町四方、すなわち一辺240mの井手寺跡の寺域から東に50mほどの地点です。
井手寺は奈良時代の左大臣橘諸兄が氏寺として奈良時代中頃に創建した大きな古代寺院です。井手町教育委員会の9年間の発掘調査により、金堂や食堂と考えられる遺構などが見つかっています。
今回見つかった遺構は東西15.3m、南北15.1m15.6mを測る方形の建物の基壇部分で、各辺の中央部分に階段が設置されており塔の基壇と考えられます。
基壇の周囲には、花崗岩やチャートなどの石を敷いた犬走と排水溝が見つかっています。基壇本体は、大きな花崗岩を積み上げた乱石積基壇で、残りの良い状況で発見されることは非常に珍しいです。
その規模、見事な石組みなどから当時の最高技術で建築された五重塔の姿が復元されます。
古代寺院の姿がこのような立派な姿で現在に伝えられたことは、私たちに大きな感動を与えてくれます。また、天然痘で権勢を誇った藤原四氏が病に倒れる中、聖武天皇を支えた橘諸兄、そのひ孫にあたり藤原氏以外で皇后となった嘉智子、その兄の右大臣の氏公など歴史上の人物がどのようにかかわったか想像するだけで当時にタイムスリップするようです。
この塔がいつどのように建設されたか今後の解明が期待されます
データ登録機関 :
(公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
文化財所在地 :
Kyoto Prefecture
動画種別 :
文化財紹介・解説
対象 :
not_for_kids
文化財種別 :
史跡・遺跡
関連資料URL : 栢ノ木遺跡現地公開資料
総覧登録日 :
2022-05-27
wikipedia 出典テンプレート :
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