Ibaraki Prefecture
常陸太田市集中曝涼【文化財解説(菊蓮寺)②】
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県指定文化財 木造千手観音立像
檜材一木造りで、像高350cmと八郷の立木観音に次ぐ県下第2位の巨像である。圧倒される大きさとともに、重圧さと量感にあふれた像で、彫りの深い端正で面長な顔立ちである。平安時代の末期金砂の合戦で前の千手観音が焼損したため、鎌倉時代になって新たに制作したもので、胎内供養札には寛元2年(1244)の記述がある。(昭和54年3月8日指定)
伝千手観音焼損像
もともとの本尊として制作されたと伝えられ、像高368cmと、現在の千手観音像よりもやや大きかった。寄木造りの前部が焼失し、残存した背面部である。金砂の合戦で、源氏の軍勢が佐竹氏を討つ際、放たれた火の中で焼けてしまったもので、惜しまれる。制作年代は平安時代。徳一大師の作と伝えられる。
県指定文化財 木造不動明王立像
檜材一木造りで、像高162cmと等身大である。不動明王には珍しく姿態に誇張がない。迦楼羅(かるら)炎と呼ばれる火焔の光背は失われている。右の目は地を見渡し、天地眼(てんちがん)といって世界の全てを見通していることを表す。古い天台形式で千手観音の脇侍となっている。制作年代は平安時代。湛慶作と伝えられる。(昭和54年3月8日指定)
県指定文化財 木造多聞天(毘沙門天)立像
檜材一木造りで、像高168cmと不動明王とほぼ同じである。いかめしい容姿のうちに気品があり、腹部には鬼面の彫刻がある。忿怒相で口を閉じ、左手には宝塔、右手には剣を持ち、やや腰を左にひねり、右足を少し開いている。古い天台形式で千手観音の脇侍となっている。制作年代は平安時代。湛慶作と伝えられる。(昭和40年2月24日指定)
県指定文化財 木造女神像
檜材一木造りで、像高115cmの神像。双髪を結び、髪は両肩に垂れ、簡素な刻みであり、おしいかな相の部分は失われている。両手を胸前で供手し、いかにも女神らしい静かな姿である。上衣の刻みと背部の腰帯の刀痕には、力強さが見られる。女神独特の清澄な表現を示し、端正な像容の中にも、一種の幻想的な感を受ける像である。制作年代は平安時代。湛慶作と伝えられる。(昭和40年2月24日指定)
檜材一木造りで、像高350cmと八郷の立木観音に次ぐ県下第2位の巨像である。圧倒される大きさとともに、重圧さと量感にあふれた像で、彫りの深い端正で面長な顔立ちである。平安時代の末期金砂の合戦で前の千手観音が焼損したため、鎌倉時代になって新たに制作したもので、胎内供養札には寛元2年(1244)の記述がある。(昭和54年3月8日指定)
伝千手観音焼損像
もともとの本尊として制作されたと伝えられ、像高368cmと、現在の千手観音像よりもやや大きかった。寄木造りの前部が焼失し、残存した背面部である。金砂の合戦で、源氏の軍勢が佐竹氏を討つ際、放たれた火の中で焼けてしまったもので、惜しまれる。制作年代は平安時代。徳一大師の作と伝えられる。
県指定文化財 木造不動明王立像
檜材一木造りで、像高162cmと等身大である。不動明王には珍しく姿態に誇張がない。迦楼羅(かるら)炎と呼ばれる火焔の光背は失われている。右の目は地を見渡し、天地眼(てんちがん)といって世界の全てを見通していることを表す。古い天台形式で千手観音の脇侍となっている。制作年代は平安時代。湛慶作と伝えられる。(昭和54年3月8日指定)
県指定文化財 木造多聞天(毘沙門天)立像
檜材一木造りで、像高168cmと不動明王とほぼ同じである。いかめしい容姿のうちに気品があり、腹部には鬼面の彫刻がある。忿怒相で口を閉じ、左手には宝塔、右手には剣を持ち、やや腰を左にひねり、右足を少し開いている。古い天台形式で千手観音の脇侍となっている。制作年代は平安時代。湛慶作と伝えられる。(昭和40年2月24日指定)
県指定文化財 木造女神像
檜材一木造りで、像高115cmの神像。双髪を結び、髪は両肩に垂れ、簡素な刻みであり、おしいかな相の部分は失われている。両手を胸前で供手し、いかにも女神らしい静かな姿である。上衣の刻みと背部の腰帯の刀痕には、力強さが見られる。女神独特の清澄な表現を示し、端正な像容の中にも、一種の幻想的な感を受ける像である。制作年代は平安時代。湛慶作と伝えられる。(昭和40年2月24日指定)
データ登録機関 :
常陸太田市
文化財所在地 :
Ibaraki Prefecture
動画種別 :
文化財紹介・解説
対象 :
not_for_kids
文化財種別 :
彫刻
総覧登録日 :
2021-05-12
wikipedia 出典テンプレート :
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