PEAKITによる旧石器の3D記録
長野県佐久市の八風山黒色ガラス質安山岩原産地の香坂山遺跡において2020年と2021年に、学術目的の発掘調査を行った。その結果、約37,000年前の列島最古の石刃インダストリーを検出し、その組成がユーラシア大陸中央部の初期後期旧石器時代の石刃インダストリーと類似することが分かり、列島の後期旧石器文化の起源を明確に示す重要な成果が得られた。この重要資料を学界に報告するにあたり、報告書に掲載した100%の石器を株式会社ラングのPEAKITによって計測、図化していただいた。掲載したPEAKIT 図は732点である。
線画におこすことなくそのまま掲載した理由は、線画にする段階で情報の取捨選択が行われるためであった。そもそも線画を作成する理由は、目の前にある石器の実物を、刊行する発掘調査報告書では、同じ視覚情報で伝えることができないため、多くの情報から、剥離面の形や剥離方向、切り合い関係などの最低限の情報を抜き描きするためである。PEAKITにより石器研究に必要なこれらの基礎情報はもちろん、線画では表現しきれない石質の部分的な変化や面の傾き、剥離面の部分的な平滑さや湾曲具合など、視覚情報に近いレベルの情報を、写真ではなく模式的に示すことで、明確に伝達できる。
手実測の場合は、線画で表現する基礎情報についても、石器実測者の主観的あるいは経験値の多寡による取捨選択が働いているので、誰が描いても同じ図にはならない。PEAKITでは、その基礎情報の読み取りの権利が、報告書の読み手に移ったという点で、格段に客観性が高まっている。むしろそれが技術的に可能であればそうすべきであろう。ましてや、図面上では辻褄をあわせているが実際には精度が不明な手実測図とは、正確さにおいて信頼度が比較にならない。
また石材原産地における大規模遺跡であったにもかかわらず、発掘の翌年には調査報告書を刊行できたのも、PEAKITの迅速さによる。10年の報告書作製期間を覚悟していたが、図化の迅速さは驚異的であった。
ところで現在の発掘調査の成果は、紙に印刷して配布する報告形態に制約されているので、PEAKITによる3次元情報を6面展開図にして掲載せざるを得なかった。しかし、PEAKITが本来もつ特性を生かすならば、6面展開図である必要はまったくなく、むしろ3次元データをそのまま報告できるような報告形態が望ましい。従来の遺物の6面展開図は、立体を2次元で表現するための工夫であったはずなので、PEAKITにより3次元情報が得られた現代においては、報告形態もそれに応じた形態に変化すべきであろう。
3次元の高度な情報をもつPEAKITを、2次元の6面展開図にして紙に印刷して配布するという現在の報告形態は全く合理的ではないので、これは早晩行われなくなる過渡的な報告形態になるだろう。本誌が試みるweb型式の公開は、3次元データの掲載に適している。利便性や低コストであることに加えて、本来重視されるべき公開性やデータ保存性の高さも相まって、web型の発掘報告は不可逆的に普及していくに違いない。
PEAKITによって、情報解像度が数段のレベルで高度化し、これ自身による考古学研究への影響も大きく、迅速化の点で埋蔵文化財行政に大きな貢献をもたらしている。これに加えて、PEAKITは、意図しない結果ではあろうと思うが、日本の埋蔵文化財発掘調査報告書の形態を決定的に変化させることになるだろう。それはかなり近い将来に実現していくとみてよい。これにより、現在の埋蔵文化財行政における原則300部の紙印刷物を記録保存の本旨とする考え方は、近い将来に確実に転換を迫られることになることが想定される。つい最近までは高精度PDFが紙印刷物にとって代わる未来を想定していたが、PEAKITの普及により発掘調査報告書の最も肝となる遺物情報の高度化が進展したため、その高精度PDFすら、乗り越えられることになるのは確実である。
このようにPEAKITのもたらした遺物情報の高度化と客観化は、考古学研究と埋蔵文化財行政を大きく転換させる原動力となると考えられる。これは学術面はもちろんのこと、行政面からも大いに歓迎すべき変化である。今後の趨勢に注目していきたい。
株式会社ラングのPEAKITにより作成した学術発掘の調査報告書
左:国武貞克編2021『香坂山遺跡2020年発掘調査報告書』206頁 奈良文化財研究所 https://sitereports.nabunken.go.jp/91685
右と下:国武貞克2022『香坂山遺跡2021年発掘調査報告書』262頁 奈良文化財研究所
https://sitereports.nabunken.go.jp/130145