盛岡市遺跡の学び館 第21回企画展「大島遺跡に見る蝦夷(エミシ)社会の変容」
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大島(おおしま)遺跡は、新野球場「いわて盛岡ボールパーク」(きたぎんボールパーク)の北西近隣に所在する、大規模な古代集落です。盛岡市中央卸売市場(新市場)整備に伴い3万3000平方メートルと広大な範囲の発掘調査が行われ、9世紀後半~10世紀を中心とした多数の竪穴建物群と高床倉庫、畑作地などが発見され、多数の土器群とともに木製鍬、柱材、石帯といった貴重な資料が出土しました。また、盛南地区の大規模土地区画整理事業(ゆいとぴあ盛南)に伴い20年以上発掘調査が行われた各遺跡は、近接して巨大な古代集落群を形成。9世紀後半の多数の竪穴建物と高倉庫群(飯岡才川遺跡)、10世紀の官衙的大規模掘立柱建物群(林崎遺跡・大宮北遺跡)、水場祭祀遺構(向中野館遺跡)、宗教関連特殊土器(細谷地遺跡)などは、8世紀代の勢力が温存された「志波蝦夷(しわ えみし)」豪族が、律令政府側の技術や文化を取り込み、新興在地有力者へ急成長していったことを示しています。このような古代斯波郡の有力者は、『続日本後紀』の承和年間に「物部斯波連(もののべの しわのむらじ)」と記されています。彼らは官衙的建物を建築し官人化することで地域を支配し、その在地有力者を鎮守府胆沢城が支配することで、北上盆地北部を間接統治していたと考えられます。
本企画展では、野外調査終了後 20 年以上を経て令和 3 年度に報告書が刊行され、多くが初公開となる大島遺跡出土資料を中心として、9・10 世紀に斯波郡北部の蝦夷(エミシ)社会が変容していく歴史について、展示・解説します。
本企画展では、野外調査終了後 20 年以上を経て令和 3 年度に報告書が刊行され、多くが初公開となる大島遺跡出土資料を中心として、9・10 世紀に斯波郡北部の蝦夷(エミシ)社会が変容していく歴史について、展示・解説します。
主催盛岡市遺跡の学び館
連絡先
電話019-635-6600