北へひろがる北野遺跡
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北野遺跡は、明和町の南部に位置し、大字斎宮、上野、蓑村、明星の4自治会にまたがり、南北約1㎞、東西約540mにもおよぶ町内屈指の大規模な遺跡です。
北野遺跡の南部では、平成2年度~平成7年度にかけて圃場整備に伴う発掘調査が三重県埋蔵文化財センターによって実施され、さまざまな時代の遺構・遺物が見つかっています。古い時代としては、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての竪穴建物や方形周溝墓が見つかっています。しかし特筆すべきは6世紀中頃から8世紀後半にかけての土師器生産に関わる「土師器焼成土坑(以下、焼成坑)」が225基も見つかったことです。明和町内では、町の南部を中心に570基以上の焼成坑が発見されており、北野遺跡などで焼かれた土師器は伊勢神宮や斎宮に供給されていたことが想定されています。中でも、継続的かつ大規模に土師器生産が行われた北野遺跡は、史跡斎宮跡を考える上でも重要な遺跡です。
明和町では令和2年度に北野遺跡において店舗建設に伴う事前の発掘調査を実施しました。調査地点は遺跡の最北部で、過去に調査事例が乏しく遺跡の様相が不明なエリアでした。調査の着手前には、調査箇所が遺跡縁辺部にあたることから遺構の密度が少ない可能性が想定されていました。ところが、いざ調査を実施すると、古墳時代初頭から前期にかけての竪穴建物が18基以上確認され、北野遺跡の新たな様相が明らかになってきました。さらに、確認された竪穴建物の1つからは、明和町では初めての発見となる鏡を模した石製模造品が出土するなど大きな成果がありました。
今回の企画展では北野遺跡の最新発掘情報を速報的に公開し、埋蔵文化財をはじめ町内の文化財に対する理解を深めることを目的に開催します。
北野遺跡の南部では、平成2年度~平成7年度にかけて圃場整備に伴う発掘調査が三重県埋蔵文化財センターによって実施され、さまざまな時代の遺構・遺物が見つかっています。古い時代としては、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての竪穴建物や方形周溝墓が見つかっています。しかし特筆すべきは6世紀中頃から8世紀後半にかけての土師器生産に関わる「土師器焼成土坑(以下、焼成坑)」が225基も見つかったことです。明和町内では、町の南部を中心に570基以上の焼成坑が発見されており、北野遺跡などで焼かれた土師器は伊勢神宮や斎宮に供給されていたことが想定されています。中でも、継続的かつ大規模に土師器生産が行われた北野遺跡は、史跡斎宮跡を考える上でも重要な遺跡です。
明和町では令和2年度に北野遺跡において店舗建設に伴う事前の発掘調査を実施しました。調査地点は遺跡の最北部で、過去に調査事例が乏しく遺跡の様相が不明なエリアでした。調査の着手前には、調査箇所が遺跡縁辺部にあたることから遺構の密度が少ない可能性が想定されていました。ところが、いざ調査を実施すると、古墳時代初頭から前期にかけての竪穴建物が18基以上確認され、北野遺跡の新たな様相が明らかになってきました。さらに、確認された竪穴建物の1つからは、明和町では初めての発見となる鏡を模した石製模造品が出土するなど大きな成果がありました。
今回の企画展では北野遺跡の最新発掘情報を速報的に公開し、埋蔵文化財をはじめ町内の文化財に対する理解を深めることを目的に開催します。
主催明和町斎宮跡・文化観光課
連絡先
0596-52-7126