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The study about the role that the flag ofticer Osaka district carried out in Gulf of Osaka invasion case with the Russian warship which occurred in l854
嘉永七年 (一八五四) のロシア船来航と大坂船手頭の役割 ー「大坂御船手目論見之図」にみる大坂船手頭の機能的限界ー

Takaku Tomohiro ( 髙久 智広 )
嘉永7年 (1854) 9月に起ったロシア海軍中将プチャーチン率いる軍艦ディアナ号による大坂湾侵入への対応は、幕末期における幕府の上方支配機構の特質を考える上で、非常に重要な出来事の一つである。本稿では、この時、大坂城代土屋寅直の下、大坂町奉行とともにロシア使節との交渉やロシア船に対する警備に携わった大坂船手頭に注目し、その役割と幕末期における権能の限界について検討するものである。そのためにまず、歴代の大坂船手頭就任者の補任状況及び、知行配置と役扶持給付に関する分析を行い、享保改革を画期として幕府官僚化していく姿を追う。またその上で、大坂船手頭がロシア使節に対する応接と警備にどのように携わったのかを検証する。そして次の異国船来航時の対策として大坂船手方が作成した「大坂御船手目論見図」の分析を行い、なぜ大坂船手方が神戸海軍操練所に吸収されることになったのか、その道筋を捉える。
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Created Date : 2021-11-22
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