1970 Ancash Earthquake and its Reconstruction in Peru -Report from Chimbote, Yungay, Huaraz, the Chavin de Huantar site: Entering the 56th Year since the Disaster-
ペルー1970年アンカシュ地震とその復興―被災から56年目を迎えたチンボテ、ユンガイ、ワラス、チャビン・デ・ワンタル遺跡からの報告―
AIHARA Junichi
( 相原 淳一 )
死者数が約32万人とされる2010年1月12日のハイチ地震以前では、1970年5月31日に発災したペルーのアンカシュ地震が南北アメリカでは最大で死者・行方不明者を合わせて約12万人を出していた。本稿はこの1970年アンカシュ地震について災害・防災考古学の視点から調査した成果である。
主な被災地のチンボテ、ユンガイ、ワラスの文献調査をはじめ、現地調査を行った。あわせて、アンカシュ考古学博物館「アウグスト・ソリアノ・インファンテ」と関係が深いチャビン・デ・ワンタル遺跡に関する調査も行った。それぞれ、地理的環境と歴史的・社会的環境、被災履歴、復興、遺跡と博物館、今日の様相について整理し、今後の展望について考察した。
震源地に近いチンボテで死亡者が少なく、震源地から離れ、震度もチンボテよりも小さかったユンガイやワラスでどうして人口のほとんどすべて、あるいは半分ほども失うような大災害が起きたのか、理解することができなかった。決して超巨大津波に襲われたわけでもなかった。ユンガイはペルー最高峰のワスカランの山体崩壊による土石流災害であること、ワラスでは直前の1941年に起きた氷河湖決壊によって形成された軟弱な洪水堆積層上に町が再び再建され、そのため突出して死亡者・行方不明者が多くなったということがわかった。文献や伝承をたどれば、どちらもこれまでこうした自然災害を繰り返して来た地であり、その危険性は自然科学者からも警告が発せられていた。
こうした自然科学の調査においても、遺跡の発掘調査や考古学にしばしば言及され、ユンガイの報告においては沖積層の地下に埋もれる古代ユンガ王国の被災遺構が存在する可能性についても触れられ、その調査の必要性と文化財の保護についても提言がなされていた。今後、こうした土石流や洪水、氾濫原の沖積層の下部に考古学的な調査が及べば、文献や伝承によってしか知り得なかった被災の実態を詳細に明らかにしていくことが可能でなろう。
主な被災地のチンボテ、ユンガイ、ワラスの文献調査をはじめ、現地調査を行った。あわせて、アンカシュ考古学博物館「アウグスト・ソリアノ・インファンテ」と関係が深いチャビン・デ・ワンタル遺跡に関する調査も行った。それぞれ、地理的環境と歴史的・社会的環境、被災履歴、復興、遺跡と博物館、今日の様相について整理し、今後の展望について考察した。
震源地に近いチンボテで死亡者が少なく、震源地から離れ、震度もチンボテよりも小さかったユンガイやワラスでどうして人口のほとんどすべて、あるいは半分ほども失うような大災害が起きたのか、理解することができなかった。決して超巨大津波に襲われたわけでもなかった。ユンガイはペルー最高峰のワスカランの山体崩壊による土石流災害であること、ワラスでは直前の1941年に起きた氷河湖決壊によって形成された軟弱な洪水堆積層上に町が再び再建され、そのため突出して死亡者・行方不明者が多くなったということがわかった。文献や伝承をたどれば、どちらもこれまでこうした自然災害を繰り返して来た地であり、その危険性は自然科学者からも警告が発せられていた。
こうした自然科学の調査においても、遺跡の発掘調査や考古学にしばしば言及され、ユンガイの報告においては沖積層の地下に埋もれる古代ユンガ王国の被災遺構が存在する可能性についても触れられ、その調査の必要性と文化財の保護についても提言がなされていた。今後、こうした土石流や洪水、氾濫原の沖積層の下部に考古学的な調査が及べば、文献や伝承によってしか知り得なかった被災の実態を詳細に明らかにしていくことが可能でなろう。
相原淳一 2025「ペルー1970年アンカシュ地震とその復興―被災から56年目を迎えたチンボテ、ユンガイ、ワラス、チャビン・デ・ワンタル遺跡からの報告―」 『第4回_日本災害・防災考古学会研究会資料・予稿集』
https://sitereports.nabunken.go.jp/en/article/127856
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