第4節 定徳寺脇墓地の特質
岩橋 孝典
石見銀山の南西側出入口である坂根口・畑口に近接する位置に立地する墓群の石造物調査の成果報告。
宝篋印塔、五輪塔、無縫塔、石燈籠、石廟、板碑、墓標など約35基の石造物からなる墓群で、造立の起点となる六字名号板碑は弘治3年(1557)の造立で石見銀山遺跡内では最古の紀年銘を持つ石物である。
墓塔では天正20年(1592)銘の一石五輪塔から造立が始まり、弘化2年(1845)の円頂方柱墓標までが確認される。
18世紀後半は造墓活動の空白期が認められ、19世紀代は「飯田屋」墓地として機能したものと考えられる。
宝篋印塔、五輪塔、無縫塔、石燈籠、石廟、板碑、墓標など約35基の石造物からなる墓群で、造立の起点となる六字名号板碑は弘治3年(1557)の造立で石見銀山遺跡内では最古の紀年銘を持つ石物である。
墓塔では天正20年(1592)銘の一石五輪塔から造立が始まり、弘化2年(1845)の円頂方柱墓標までが確認される。
18世紀後半は造墓活動の空白期が認められ、19世紀代は「飯田屋」墓地として機能したものと考えられる。
岩橋孝典 2025「第4節 定徳寺脇墓地の特質」 『石見銀山遺跡石造物調査報告書23』
https://sitereports.nabunken.go.jp/en/article/127500
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