東平1号墳出土鉄鏃の評価と意義
FUJIMURA Sho
( 藤村 翔 )
駿河東部地域の後・終末期古墳出土鉄鏃については、長三角形式や五角形式、三角形式に代表されるようなヴァリエーション豊かな平根系鉄鏃が目立つこと(井鍋2003、長谷川2003、藤村2011)、20 ~30 本以上の大量の鉄鏃を保有する古墳が数多く認められること(菊池2016、大谷2004、藤村2017)などの特徴が先行研究でも指摘されている。また、古墳時代のものとしては東海地域唯一の鍛冶具を出土した中原4 号墳のほか(鈴木2016 など)、鍛冶生産に関わる特殊遺物(祭祀具)としての性格が推定されている鉄鐸を保有する古墳も当地域に集中する状況から、小規模な鉄器製作や鉄鏃の地域生産が行われていた可能性も考慮しておく必要がある一方で(藤村2017)、当地域の鉄鏃組成やその変遷を検討する分析は井鍋誉之氏の検討(井鍋2003)以降低調であり、近年になって目覚ましい調査成果が相次いで報告されている当地域の後・終末期古墳出土資料を反映した編年を再構築する意義は大きい。
上記のような問題意識のもと、本稿では駿河東部地域における7 世紀代の代表的な有力首長墳の一つであり、また計30 点という比較的多量の鉄鏃を保有する東平1 号墳の資料の特徴を整理し、当地域における鉄鏃組成の時間的推移のなかで本資料が有する意義を考えたい。
上記のような問題意識のもと、本稿では駿河東部地域における7 世紀代の代表的な有力首長墳の一つであり、また計30 点という比較的多量の鉄鏃を保有する東平1 号墳の資料の特徴を整理し、当地域における鉄鏃組成の時間的推移のなかで本資料が有する意義を考えたい。