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二本松城跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72476
For Citation 二本松市教育委員会 2019 『二本松市文化財調査報告書70:二本松城跡』二本松市教育委員会
二本松市教育委員会 2019 『二本松城跡』二本松市文化財調査報告書70
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File
Title 二本松城跡
Participation-organizations 二本松市 - 福島県
Alternative にほんまつじょうあと
Subtitle 発掘調査報告書
Volume 31: 平成30年度 2
Series 二本松市文化財調査報告書
Series Number 70
Author
Editorial Organization
二本松市教育委員会
Publisher
二本松市教育委員会
Publish Date 20190329
Publisher ID 072109
ZIP CODE 9648601
TEL 0243555154
Aaddress 二本松市金色403-1
Report Type Codes
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
NII Type Research Paper
Research Report 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
Articles
Site
Site Name 二本松城大手門跡
Site Name Transcription にほんまつじょうおおてもんあと
Order in book
Address 二本松市本町一丁目
Address Transcription にほんまつしもとまちいっちょうめ
City Code 072109
Site Number 0090
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 373531
East Longitude (WGS) 1402608
Dd X Y 37.591944 140.435555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
Research Period
20181119-20181214
Research Space
90
Research Causes 内容確認
OverView
Site Type
Main Age
江戸
Main Features
溝跡
Main Foundings
陶磁器
土師質土器
古銭
木製品
Remark  東西に延びる溝跡1条と直違文軒丸瓦片1点を確認。
Abstract  二本松城大手門跡は、奥州道中に面した久保丁口に築造された二本松城の大手門で通称「坂下門」ともいった。天保3年(1832)に幕府に絵図面を添えて願い出て、許可を得て普請した本格的な櫓門であったが、慶応4年(1868)戊辰戦争敗戦後まもなく取り壊されたものとみられる。また門前のお堀も埋められた。
 今回の調査は西本陣の北側に位置する地点である。調査の結果、大手門跡の西側地点においては明治期の郡役所および昭和期の県の出先機関としての施設利用により、幕末期の生活面はかなり破壊を受けていることが判明し、大手門跡の石垣等による詳細な規模・構造を把握することはできなかった。
 しかし、3Tから大手門の塀に葺かれていたと考えられる丹羽家の家紋である『直違文』入りの軒丸瓦片や平瓦片・丸瓦片が出土したことから、大手門地割図で描かれているとおりこの地点まで塀が築かれていたことが想定できた。
 また、旧地形が北西から南東にかけて傾斜していることが確認され、南東側では湧水が特に多くなることから水が豊富に流れていたと考えられた。これを裏づける遺構としては、4Tから6Tにかけて検出された、幕末期と考えられる東西に流れる溝跡(SD01)である。この溝跡は、堆積土の状況から水が常時流れていたと判断されることから、大手門跡の南側に造られた水堀へ水を供給していた水路であった可能性が考えられる。

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