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多胡郡正倉跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/132578
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.132578
引用表記 高崎市教育委員会 2019 『高崎市文化財調査報告書426:多胡郡正倉跡』
高崎市教育委員会 2019 『多胡郡正倉跡』高崎市文化財調査報告書426
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書名 多胡郡正倉跡
発行(管理)機関 高崎市 - 群馬県
書名かな たごぐんしょうそうあと
副書名 多胡碑周辺遺跡範囲確認調査事業報告書
巻次 1
シリーズ名 高崎市文化財調査報告書
シリーズ番号 426
編著者名
編集機関
高崎市教育委員会
発行機関
発行年月日 20190329
作成機関ID 10202
郵便番号 3708501
電話番号 0273211292
住所 群馬県高崎市高松町35番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 多胡郡正倉跡 第1次 第2次 第3次 第4次 第5次 第6次
遺跡名かな たごぐんしょうそうあと
本内順位
遺跡所在地 高崎市吉井町池
所在地ふりがな たかさきしよしいまちいけ
市町村コード 10202
遺跡番号 526、556、570、599、636、673
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 361542
東経(世界測地系)度分秒 1385951
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.261666 138.997499
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120122-20120330
20121204-20130329
20130823-20140331
20140523-20141128
20150525-20150331
20150401-20160331
調査面積(㎡)
6337
調査原因 保存目的調査
遺跡概要
種別
官衙
時代
奈良
平安
主な遺構
総柱礎石建物
正倉院外周区画溝
土橋
溝跡
土坑
主な遺物
瓦類
土師器
須恵器
木製品
被熱粘土塊
穀類
特記事項 和銅4年に建郡された多胡郡の正倉遺構。正倉建物2棟のほか、区画溝を伴い正倉院と推定される。SB03は3間×7間の総瓦葺礎石建物遺構。
要約 多胡郡正倉跡は、711年(和銅4年)に建郡された古代多胡郡の正倉跡である。正倉として礎石建物が2棟検出されたが、このうちの1棟は7×3の東西棟であり、上野国内で初めて確認された総瓦葺の屋根構造を持つ正倉であった。荘厳化されたこの正倉は、正税帳における法倉に位置付けられ、対蝦夷対策などの国家的政策によって建てられたと考えられる。遺跡の北辺・西辺・南辺では正方位の規画性を持った正倉院外周区画溝が検出され、正倉院を形成していた。正倉院内には浅い谷が埋められること無く存在しており、本遺跡の特徴である。瓦葺の正倉に使用された瓦は、多胡郡域の瓦生産を知るうえで重要であり、上野国分寺への供給体制および国家による手工業生産の再編を知る手がかりとなる。『上野国交代実録帳』と記載が付合する点も有り、資料と検証できる遺跡としても重要である。瓦葺正倉の創建は8世紀中頃であるが、正倉院の創建は建郡時に近い頃と推定される。廃絶時期は明確では無いが、浅間Bテフラ降下の天仁元年(1108)年までに廃絶したと思われる。本遺跡は多胡郡建郡について記した特別史跡多胡碑の真南約300mに位置している。さらに両遺跡は8世紀という同時期性を持つ。このことから多胡郡正倉跡は多胡碑と密接な関係を持って設置されたことをうかがわせる。

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