唐の装飾馬と日本との比較
Comparison of Decorative Horses between Tang Dynasty and Asuka-Nara-Heian Period Japan.
津野 仁
( TSUNO Jin )
唐の法典や儀衛の一部を継受した日本で、儀仗に唐様式馬装が導入されたのか、比較検討した。最初に、唐の馬装について俑・壁画・皇帝陵の石馬から馬具の部分や組合せの実態を検討した。その馬装は、胸懸に杏葉か瓔珞5枚(個)、尻懸片面に3枚(個)が最も基本的な型で、最も華美な馬装は蓮の蕾形の雲珠が付き、多数の杏葉が垂下する。これが、7世紀後葉から8世紀前半の三懸垂飾の基本型の一つであった。これは皇帝や皇族・三品以上の高官の儀仗馬装であった。日本では、毛皮製韉や障泥及び金銀装の馬装が蕃客に国威を示し、律令国家の対外政策上必要な道具であった。さらに、『延喜式』左右馬寮記載の女鞍や正倉院2号鞍等が装飾馬の典型と判断された。唐様式との関係では、三懸飾金具の一部や杏葉、及び韉・障泥の材質と金装馬の配置などが唐様式の馬装・隊列配置であるが、馬具の機能的な部分は前代から継承したものになっている。馬具においても唐の階層的儀仗制が適用されて、唐国内や日本を含む周辺諸国に規制されていたと考えられる。唐朝廷の儀仗は儀衛上使用する階層が限定されていたためである。