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コノマ遺跡群

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/139208
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.139208
引用表記 桂川町教育委員会 2020 『桂川町文化財調査報告書21:コノマ遺跡群』桂川町教育委員会
桂川町教育委員会 2020 『コノマ遺跡群』桂川町文化財調査報告書21
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書名 コノマ遺跡群
発行(管理)機関 桂川町 - 福岡県
書名かな このまいせきぐん
副書名 県道豆田稲築線改良工事に伴う発掘調査報告
巻次
シリーズ名 桂川町文化財調査報告書
シリーズ番号 21
編著者名
編集機関
桂川町教育委員会
発行機関
桂川町教育委員会
発行年月日 20200228
作成機関ID 404217
郵便番号 8200696
電話番号 0948651100
住所 福岡県嘉穂郡桂川町大字土居424番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 コノマ遺跡群
遺跡名かな このまいせきぐん
本内順位 1
遺跡所在地 福岡県嘉穂郡桂川町大字土師1117-4他
所在地ふりがな ふくおかけんかほぐんけいせんまちおおあざはじ1117-4ほか
市町村コード 404217
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333446
東経(世界測地系)度分秒 1304107
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.579444 130.685277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170725-20180302
調査面積(㎡)
6900
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
古墳
横穴
その他
時代
古墳
近代(細分不明)
主な遺構
古墳
土壙墓
横穴墓
その他
主な遺物
土師器
須恵器
埴輪
土製品
鉄器
装身具
特記事項 古墳1基、土壙墓2基、横穴墓11基、須恵器窯跡1基の古墳時代の遺構と、竪穴状遺構2基を含めた石炭採掘に関わる近代の遺構を検出。遺物は、古墳から鉄剣、横穴墓の墓道より埴輪、須恵器焼成窯道具の土製品、須恵器窯跡では、蓋坏、甕が窯詰状態で出土した。
要約 コノマ遺跡群は、泉河内川の東岸に位置し、長谷山から派生した第三紀層からなる舌状丘陵上に立地する。当遺跡群は、古墳時代前期末~中期初頭に三十六古墳群4号墳が築造され、一度利用が停止し、6世紀後半から順次横穴墓や須恵器窯跡が築造され、7世紀中頃には利用が再び停止する。その後、近代に石炭採掘の興隆に伴い再び利用されるが、石炭の需要低下により静粛な森に帰した。三十六古墳群4号墳では、割竹形木棺を主体部とする粘土槨であり、鉄剣の副葬配置から、当時の社会情勢を看取できる。横穴墓では、埴輪が伴う好事例を提供し、7号横穴墓の墓道から出土した土製品は、融着資料などから須恵器焼成の窯道具と判明し、被葬者は須恵器生産に関わった人物と推定する。須恵器窯跡は、35セットの蓋坏、2点の甕が窯詰状態で出土した。また、当窯跡には、複数回の使用が認められず、出土遺物は良好な一括資料である。操業時期は6世紀末で、横穴墓の築造増加時期と重なり、横穴墓と近接して築造するため、本来は横穴墓に副葬する須恵器を焼成したと推定する。横穴墓の埴輪、土師器高坏、土製品や須恵器窯跡の甕から、広範囲にわたる交流を示す。

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