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石井要害跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62726
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.62726
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2019 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書17:石井要害跡』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2019 『石井要害跡』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書17
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ファイル
書名 石井要害跡
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな いしいようがいあと
副書名
巻次 2
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 17
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20190327
作成機関ID 31202
郵便番号 683-0011
電話番号 0859262455
住所 福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 石井要害跡 第2次調査
遺跡名かな いしいようがいあと
本内順位
遺跡所在地 鳥取県米子市石井
所在地ふりがな とっとりけんよなごしいしい
市町村コード 312029
遺跡番号 156
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352419
東経(世界測地系)度分秒 1332050
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.405277 133.347222
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20180827-20181031
調査面積(㎡)
1039
調査原因 急傾斜地対策工事
遺跡概要
種別
城館
時代
中世(細分不明)
主な遺構
空堀
土塁
段状遺構
集石
主な遺物
陶磁器
土師器
須恵器
石製品
金属製品
特記事項
要約 石井要害跡は、米子市西部に位置し、加茂川左岸の標高29mの独立丘陵上に立地する。
今回の調査は、出丸と称される丘陵の頂部平坦面の北西側と北東側斜面の調査を実施した。
調査の結果、Ⅰ期(15世紀後半)には、頂部平坦面の南西側には腰郭を2段設け、北東側には傾斜度60°の切岸があり、頂部平坦面より3.5~4m下がった位置に腰郭を2郭構築している。頂部平坦面では北東ー南西方向にのびる空堀を配しているが、空堀の掘形は直線的ではなく、楕円状の掘り込みが連続するような形態となっていることから、複数の掘削作業単位が存在したと考えられる。また、空堀の埋土の状況から空堀の北西側(空堀の外側)に土塁の存在が想定される。
Ⅱ期(16世紀前半~中頃)になると、空堀を人為的に埋め立てて郭の拡張を行っている。拡張された郭ではピットを54基検出したが、建物跡や柵列として断定できるものはなかった。しかし、柱の根固めとして用いられたと考えられる礫や陶磁器がピット内に据え付けられているものがあることから、建物跡の存在が窺える。
16世紀後半は遺物が出土していないことから、城主が不在、あるいは廃城となったと考えられる。。

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