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石見銀山遺跡石造物調査報告書22 下河原地区 豊栄神社・大谷地区 徳善寺上墓地の石造物調査

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/140170
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.140170
引用表記 島根県教育委員会・大田市教育委員会 2024 『石見銀山遺跡石造物調査報告書22 下河原地区 豊栄神社・大谷地区 徳善寺上墓地の石造物調査』島根県教育委員会
島根県教育委員会・大田市教育委員会 2024 『石見銀山遺跡石造物調査報告書22 下河原地区 豊栄神社・大谷地区 徳善寺上墓地の石造物調査』
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書名 石見銀山遺跡石造物調査報告書22 下河原地区 豊栄神社・大谷地区 徳善寺上墓地の石造物調査
発行(管理)機関 島根県教育庁 - 島根県
有償頒布・配布ページ https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/kyokai/syuppannbutu.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな いわみぎんざんいせきせきぞうぶつちょうさほうこくしょ しもがわらちく とよさかじんじゃ・おおたにちく とくぜんじうえぼち のせきぞうぶつちょうさ
副書名
巻次 第22集
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
島根県教育委員会・大田市教育委員会
発行機関
島根県教育委員会
発行年月日 20240830
作成機関ID 301002
郵便番号 690-8502
電話番号 0852-22-5642
住所 島根県松江市殿町1番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
考古資料-発掘調査・分布調査・資料調査等
歴史資料-発掘調査・分布調査・資料調査等
史跡-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されていない(発掘調査報告書総目録の掲載対象外)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 石見銀山遺跡
遺跡名かな いわみぎんざんいせき
本内順位
遺跡所在地 島根県大田市大森町
所在地ふりがな しまねけんおおだしおおもりちょう
市町村コード 33205
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350633
東経(世界測地系)度分秒 1322617
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.109166 132.438055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20220501-20220831
調査面積(㎡)
調査原因 史跡整備
遺跡概要
種別
その他の生産遺跡
時代
戦国
安土桃山
江戸
主な遺構
神社
墓地
主な遺物
鳥居
燈籠
獅子狛犬
宝篋印塔
五輪塔
無縫塔
地蔵
石廟
特記事項
要約  豊栄神社は、戦国時代に曹洞宗長安寺として創建され、幕末の慶応3(1867)年に現在の姿に整備された(明治3年に「豊栄神社」に改称)。慶応2年の幕長戦争石州口の戦いに勝利して、大森陣屋に駐屯した長州藩士達は、藩祖毛利元就を祀る当寺の衰退を危惧し、本殿以下の社殿や境内地の整備を進めた。境内地には軍監・参謀をはじめ、諸隊が挙って鳥居、燈籠、獅子狛犬などを寄進しており、その数は40基以上に及ぶ。石造物の寄進者たちは、その後の鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争を経て明治政府の要職を得て近代日本に貢献した人物がいる一方、戊辰戦争で落命した人物も複数みられる。
 また、大小2基の石鳥居のうち、小鳥居には「皇紀元二千五百二十七年」(慶応3(1867)年)という金石文としては島根県最古(現状では日本最古)の皇紀元紀年銘が確認された。
 このように、豊栄神社に残る石造物は、近世社会の終焉と近代日本の萌芽の両面が刻み込まれた歴史遺産と言えるだろう

 徳善寺上墓地は、昭和期より石見銀山遺跡を代表する中世末~近世初頭の墓地群として知られていた。この墓地群が所在する大谷地区は「龍源寺間歩」に代表されるように重要な産銀・産銅地域であると共に、日本海の要港温泉津・仁摩から街道を経て石見銀山に至った時、その主要な玄関口である坂根口番所・畑口番所に隣接する地点に位置するため交通の要衝としても重要である。
 これまで、大谷地区での石造物調査は限定的であったが、本調査では、160基以上の石塔、石廟などが確認された。中でも岩窟内に納められた総高1.9mに及ぶ2基の宝篋印塔や10基以上の石廟の存在は当墓域を特徴づけている。有力な産銀地区であり、かつ銀山の玄関口を意識して、経済力のある鉱山師達が造営した墓域と位置付けられる。

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