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文化財多言語化研究報告 > 4 号 > ウポポイとアヌココㇿ アイヌ イコロマケンル、展示の「自」と「他」を考える

ウポポイとアヌココㇿ アイヌ イコロマケンル、展示の「自」と「他」を考える

扈 素妍 ( 奈良文化財研究所 )

Ho Soyeon ( Nara National Research Institute for Cultural Properties )
扈 素妍 2024 「ウポポイとアヌココㇿ アイヌ イコロマケンル、展示の「自」と「他」を考える」 『文化財多言語化研究報告』 文化財多言語化研究報告 https://sitereports.nabunken.go.jp/online-library/report/53
今年度、多言語チームでは外部機関の事例から学ぶ機会を設けることにし、アイヌ文化の復興拠点であるウポポイ(民族共生象徴空間)内の国立アイヌ民族博物館を訪問した。同館の展示は、第一言語をアイヌ語とし、アイヌの視点から語られていた点が特徴的だった。大きなパネルには日本語や英中韓の翻訳も付されていた。また、デジタルバーコードを読み取ると、より多言語の解説が得られる工夫がなされていた。展示物に直接触れる体験コーナーや、アイヌ語の学習コーナーなども用意され、言語を超えた理解の促進が図られていた。
担当者と意見交換を行い、多言語化の在り方について示唆を得た。特に印象深かったのは、展示の主体がアイヌ民族であることの明確さだった。誰のための、誰から見た視点なのかを意識することの重要性を痛感した。この訪問により、多言語化への新たな気付きを得ることができた。

 今年度、多言語チームには新しいメンバーが2人も入り、これから多言語化を進めるうえで、より発展していくためには、私たち内部の話し合いだけでは足りず、様々な事例から学びたいという声が高まっていた。そこで、今年度は多様な機関や博物館を回ってみようとする企画が持ち上がり、その第一候補として挙がったのが、ウポポイであった。ウポポイ(民族共生象徴空間)は、そのWEBページの紹介文によると「日本の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・創造等の拠点となるナショナルセンター」である。その中でも、私たちの目を引いたのは「アイヌ民族の誇りが尊重される社会をめざし、多くの人にアイヌの歴史や文化を伝え、アイヌ文化を未来につなげていくために設立」されたという、「アヌココㇿ アイヌ イコロマケンル(国立アイヌ民族博物館、以下アイヌ民族博物館)」であった。特に、展示における第一言語が「アイヌ語」であり、その構成は「アイヌ民族の視点で「私たち」という切り口で語る」という視点からなっているという説明を見てからは、その言葉に取りつかれたように訪問を決定した。

 私たち多言語チームの3人と高田主任研究員がこの場を訪れたのは、まだ真冬の2024年1月31日であった。ウポポイには国立アイヌ民族博物館のみならず、ウエカリ チセ(体験交流ホール)や、ヤイハノッカㇻ チセ(体験学習館)のように実際のアイヌの音楽や公演を体験できる空間があった。また、広いポトロ湖に沿って設置されている、アイヌ生活様子を再現したテエタ カネ アン コタン(伝統的コタン)という空間もあった。

 博物館のエントランスのすぐそばには、イノカヌカㇻ トゥンプ(シアター)があり、北海道におけるアイヌ民族の歴史を概観した動画が時間ごとに上映されていた。私たちは今回、まず展示室を見てからこの動画を観覧したが、動画を先に見てから展示を見回るほうが展示に対する基礎知識を得た上での観覧ができるので、できればシアターを先に経験することが望ましいと考えられた。また動画を観覧する際、多言語使用者は音声ガイド機器を貸して、自分がより理解しやすい言語で案内を受けることが可能であった。音声ガイド機器で対応できる言語は幅広く、英語・中国語・韓国語・ロシア語・タイ語など、多くの観覧客のニーズに符合するものであった。

 私たち多言語化担当者としては、何よりも気になるのが展示室の様子である。今回は、主にイコㇿ トゥンプ(基本展示室)の常設展示室を観覧した。そこは、入り口から数多くの国や民族の方々の姿を動画として廊下の壁面に流し、様々な言葉から挨拶を流していて、観覧客が本当に歓迎されている雰囲気を伝えるようになっていた。そして内部は順番通りに回るよりは、観覧客個人の興味に沿って楽しめるよう、「ことば」、「世界」、「くらし」、「歴史」、「しごと」、「交流」に分かれて構成されていた。

 特に展示パネルで感心した点は、すべてのパネルの一番上にくる、第一言語をアイヌ語にしているところであった。アイヌ民族のことを他者として、外部から彼らについて説明するものではなく、アイヌ民族の支点から自分の歴史、くらし、しごとなどについて伝えていたのである。

 大きなパネルではアイヌ語に続いて、日本語・英語・中国語・韓国語の説明があり、小さなパネルでは、アイヌ語と日本語しかないものもあったが、デジタルバーコードを読み取って、日本語・英語・繁体字・簡体字・韓国語・ロシア語・タイ語などの各言語での説明を確認できるようにしていた。


図 1 パネルの多言語化様子

この展示でもう一つ感心したのは、魚の皮で作った服や靴のミニアチュアなどがあり、直接触って、簡略化されてはいるが、作る手順で組み立てを体験できるように用意されていたことであった。展示品を言葉によって分かりやすく、面白く表現し、観覧客に理解してもらえることが私たちの仕事である。しかし、時には言葉だけでは伝えられないことがある。触ってみることによって、より鮮明に人々の記憶に残るということは言うまでもない。奈良文化財研究所の平城宮跡資料館にも瓦作り体験コーナーや、木簡の作りもしくは洗う体験コーナーなどがあればいいなと思った。また、このような触れる体験のみならず、アイヌ語のセクションでは基礎的なアイヌ語を学べるコーナーがあり、アイヌ文化について興味を持ち、理解を深められるよう、多様な接近方法が工夫されていた。


図 2 チェブケㇾ作り体験コーナー

 展示室を回ってからは、当館で多言語化を担当している方々と意見交換した。互いの組織内の多言語チームの位置づけ、多言語化の流れ、多言語化において重要だと考えている点など、これから奈文研で進めていく多言語化にヒントになる言葉をたくさん聞くことができた。

 その後は、上記のシアターで動画を観覧し、ウエカリチーセ(体験交流ホール)でアイヌの伝統芸能である「シノッ」を観覧し、ヤイハノッカラチーセ(体験学習館)であアイヌの伝統楽器である「ムックリ」の演奏法を学んだ。「シノッ」の美しさや、「ムックリ」を学んだ経験の楽しさは言うに及ばないことである。

 空間全体において最も印象的なことは、このウポポイという空間の「自」、すなわち「主体」の鮮明さであった。展示をする、また、展示に携わる仕事をする際の重要な問題点は、誰を対象とするかであろう。それは多言語化においても同じである。例えば、韓国の国立中央博物館では「中学3年程度の教育を受けた人」を対象として展示を構成し、パネルを準備する。特にパネルにおいては対象の年齢、使用言語、教育程度を想定して、どこからどこまでの情報を載せ、どのような口調で伝えるか決定する。

 ところが、この展示の対象ではなく、主体は「誰」なのかという質問はそこまで問うたことも問われたことも少ない。すなわち、実際の展示などにおいては当然であるためか、この展示を「誰」がどうような意図をもって、作り、設けたのかについては論じた記憶がさほどない。もちろん、展示論や博物館学では深く論じられていることではあると考えられる。特に、多言語化担当者として、日本語原文の内容が訳文でもよく通じているのか、原文をどう生かすかはチーム内で、また、原文作成者との間で活発に議論する。しかい、誰が、なんでこれを作ったのか、また、これを訳す「私」を意識し、その観点から訳文における「私の視点」を考えたことは恥ずかしいながらさほどなかった。

 そこで、ウポポイ、またその中のアイヌ民族博物館は、そもそもその問いからなる空間であり、展示であった。最初の部分で引用したとおりに、ここは、アイヌが語る、それを伝える空間である。そのため、パネルの第一言語はアイヌ語であり、建物の名前などもアイヌ語の表記が先に来ている。「()」に入る言語が何になるのか、それは訳す立場の人にとっては考えさせられざるを得ない問題である。自分がこの多言語化事業に携わってから3年半あまりの時間が過ぎたのに、いまさらこのような問題に着目するのは遅かったかもしれない。また、概ね日本語原文を訳す立場として、主体の設定についてまで考えても無駄かもしれない。しかし、それが実務においては無用な考えであっても、これから多言語化をより発展して行くためには、今こそ議論しなければならない点だと考える。だとして、今すぐ結論が付けるような話ではない。この点については、奈文研の多言語チームで検討を続けて欲しい。

 今回、ウポポイとアイヌ民族博物館への訪問は、多言語化担当者にとってはとても刺激され、また、これからの多言語化を再考する経験であった。

NAID :
都道府県 : 北海道
時代 :
文化財種別 :
史跡・遺跡種別 :
遺物(材質分類) :
学問種別 :
テーマ :
キーワード : ウポポイ 文化財多言語化
データ権利者 :
総覧登録日 : 2024-03-28
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