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文化財多言語化研究報告 > 4 号 > 「分かりやすい」多言語化、そしてその先

「分かりやすい」多言語化、そしてその先

方 国花 ( 慶北大学校人文学術院 )

Aiming for "easy-to-understand" multilingualization

Fang Guohua ( Institute of Humanities Studies, Kyungpook National University )
方 国花 2024 「「分かりやすい」多言語化、そしてその先」 『文化財多言語化研究報告』 文化財多言語化研究報告 https://sitereports.nabunken.go.jp/online-library/report/34

1. 多言語化とは

 旅行で日本を訪れるいわゆる訪日外国人旅行者や日本で暮らす外国人(在留外国人)の増加にともない、多言語化が提唱され、注目されるようになった。

 日本政府観光局(JNTO)(注1) によると、訪日外国人旅行者数は2018年、2019年続けて年間3000万人を超えていた。その後、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でしばらく急減していたが、2023年9月にほぼコロナ前の水準にまで回復し、その後も増え続けている。

 短期間滞在する外国人旅行者と違って、一定の在留資格(働く、勉強するなど)が与えられ、比較的に長い期間日本に滞在する(3か月以上)在日外国人数は、出入国在留管理庁(ISA)の統計によると、2022年末の在留外国人数は307万人を超え、過去最高を更新した。(注2)

 新型コロナウイルスの水際対策が終え、訪日外国人が勢い良く増えていく中、日本の歴史や文化を多くの外国人に伝え、興味を持ってもらうだけでなく、日本の文化財を守っていくためには、多言語化が重要な役割を果たすことになる。そこで、文化庁でも『文化財の多言語化ハンドブック』を作成して公表するなど、多言語化に力を入れている。このハンドブックによれば、文化財の多言語化について以下のように説明している。(注3)

文化財の多言語化とは,文化財そのものを外国語で解説することのみではなく,それら文化財の周辺環境を含めて訪日外国人旅行者にとって分かりやすい表示を行うことをいいます。

多言語化は,訪日外国人旅行者に快適に文化財の観光を楽しんでもらうだけでなく,文化財に関する知識や文化財鑑賞におけるマナー等を正しく伝え,身につけてもらうことで,大切な文化財を守り伝えていくという重要な意味も持っています。

 このなかで、「分かりやすい表示を行う」ことが強調されているが、実際は「分かりやすい」ところか、間違った表記も多々みられる。特に、翻訳ソフトなどで機械翻訳したため、または漢字表記に変えただけなため、トラブルが発生する実例もある。だからこそ、多言語化には「分かりやすさ」+「正確さ」が重要である。

2. 漢字表記にすれば通じる?

 中国大陸、または香港、台湾など漢字を使用する国または地域の人を対象とする案内には漢字表記にしておけば何とかなるという安易な考えを持つことがある。実際、漢字表記だけで多くをカバーすることは可能であるが、そうでない場合もある。まず、中国大陸では漢字の簡体字を使用するが、香港・台湾・マカオでは繫体字を使用する。それに、用語や表現が違うこともある。よって、一口に「漢字表記」と言ってもいろいろあることを認識しておく必要がある。

 また、漢字表記にする際にも、その国の言い回しに合う表現でなければ大変な事態になることさえある。最近起きた韓国の事例を一つ紹介しよう。

 2022年年末に中国で新型コロナウイルスの感染が急拡大し、その水際対策として、韓国では2023年1月2日から中国からの入国者に対し、PCR検査を義務化していた。そこで、韓国最大の空港であり、中国からの入国者が最も多い仁川国際空港では、中国人入国者専用通路を設け、その通路へ誘導する案内板を設置していた。

 「中国からの入国者」を韓国では「중국발 입국자」と表記するが、これをそのまま漢字変換して「中國發入國子」という漢字表記にしている。この案内板には中国大陸で普段使われない繁体字表記になっているが、これはまだ小さい問題である。字体の問題はまずふれないで、使われた漢字をみると、「入国者」を意味する「입국자」の「자」が「子」になっている。「子」と「者」は韓国漢字音では同音関係にあり、漢字変換する際の変換ミスともみてとれる。ただ、「入國子」のように「子」を使った場合、「入国したやつ」という意味になってしまう。「中国からの」の意味として使われた「中國發」という表記にも問題がある。「〇〇發」(発)のような表記は、中国では荷物を送る際に使われる表現であり、人間には使わない。ということで、たったの漢字6文字の案内板ではあるが、「中國發入國子」は「中国から入国したやつ(物)」という意味になってしまい、外交的にも問題のある表記だったと言える。結局、多くの市民から抗議電話が入り、案内板を取り換えることになった。

 その後、2023年1月6日になり、韓国の疾病管理庁では「報道説明資料」 を公表することとなった。これは2023年1月5日のMBSニュース、「『中国からきたやつ?』仁川空港案内表示板、国際的恥」に関連して、出した説明である。この「報道説明資料」(注4)をみると、「中国から出発した入国者に対する案内表示に誤りが発生した当日(1.2.)、認識した後、即交替した」、「海外入国者に正しい案内をし、正確な情報を伝えられるよう万全を期す」とある。そして、訂正された案内表示も添付されている。


 この訂正版には、中国で一般的に使う簡体字が用いられ、意味も分かりやすい。「从中国来的旅客」は、「中国からきた観光客」という意味である。ただ、これは修正前の案内、即ち「中国からの入国者」とは対照範囲が異なる。「中国からの入国者」を意味する表記であれば、「中国入境者」とすればいいが、修正後の案内はその中の観光客のみを対象としているのである。その時、韓国でPCR検査を義務付けていたのは中国からの観光客だけでなく、中国から入国した全ての入国者であった。だが、中国からの観光客は入国して即PCR検査を受けなければいけなかったが、韓国人や韓国で長期滞在する中国人は韓国入国後、1日以内に自分の住む保健所でPCR検査すればよかった。よって、仁川空港で入国者のうち、特別に振り分けておかないといけないのは「中国からきた観光客」であり、「从中国来的旅客」は正確な案内であったと言える。

 このように、たったの6文字の中国語訳だったが、漢字の使用を間違えたために大事になっていた。中には、「中國發入國子」ではどういう意味か分からなかったが、「From China」という英語表記で意味が分かったという中国人もいた。これは、分かりやすくて正確な多言語化の重要性を表すいい事例であるといえる。

3. 機械翻訳の弊害

「分かりやすさ」+「正確さ」が多言語化において大変重要であるということは、もはやいうまでもない。しかし、近年機械翻訳が精度を高めつつあり、「手軽さ」を求めて多くの人が利用している。機械翻訳は人工知能の進化により発展してはいるが、まだ人間翻訳に取ってかわることはできない。そして、機械翻訳の際に気を付けないといけない点も多々ある。


図 1 韓国のとある展示館の案内板(2023年2月筆者撮影)

 図1は筆者が韓国のとある観光地の展示館の入り口で撮った案内板の写真である。韓国語表記の「매표 후 입장하세요」は「チケット購入後、ご入場ください」という意味であるが、日本語訳をみると「チケット販売後入場してください」とあり、全く異なる意味になっている。中国語訳も日本語訳と同じく、「チケット販売後入場してください」という意味になっている。英語表記の「Please enter after ticket」も不自然な表現であり、入場するためにチケットが必要だということが伝わらない。

 これはおそらく「매표 후 입장하세요」という韓国語表記を機械翻訳しただけで、人間の手が加わっていないために起きた問題である。短文であり、難しい表現でないため、それぞれの言語ができる人に確認してもらっていたら避けられた誤表記である。

  このような翻訳ミスの事例は他にも多くみられる。中国のとある国際ホテルの池の近くには、「小心落水」という中国語表記に「気を付けて水に落ちる」という日本語訳をつけた案内板が掲示されていた。これも機械翻訳によるものだと考えられる。この日本語訳をそのまま使うのであれば、「気を付けて!水に落ちる」のように、ビックリマークを一つ付けるだけで完璧な訳になる。

 機械翻訳だけに頼り、人間の目の確認を通さないで案内を掲示すると、以上のようなことがおきる。そして、恥をかくことになる。一歩間違えたら、「中國發入國子」のような大事態を招くことさえある。

4. 失敗しない多言語化にするために

 では、以上のようなミスを起こさないために、どうすればよいのだろうか。文化庁の『文化財の多言語化ハンドブック』には、「日本語の解説を直訳せず,基本的な用語の解説を補足する」、「専門家の関与」、「既存の日本語解説が多言語化しやすい内容となっているかを確認」など、重要な視点が示されている。

 上記「매표 후 입장하세요」の誤訳も、韓国語の「매표」が「買票」にも「賣票」にも漢字変換でき、チケットを買う・売るの二つの意味を持つため、機械翻訳で失敗したのである。もし、「구매」(購買、購入という意味)という用語を使い、「티켓 구매 후 입장하세요」(チケット購入後、ご入場ください)という韓国語表現にしていたら、機械翻訳にしたとしても、誤訳はなかったはずである。まさに、『文化財の多言語化ハンドブック』にあるように、翻訳しようとする元の言語の解説が多言語化しやすい内容となっているかどうかの確認は大切である。特に、多義語の使用は必ず避けるべきである。そうすれば、誤訳する可能性が低くなり、多言語化の「正確」へとつながる。

日本語と韓国語の場合は、語順がほぼ同じで、使用する単語や助詞もほぼ対応するため、機械翻訳に有利な言語であると言える。時間や予算が十分な場合は、専門家に翻訳、または校閲を依頼したほうがいいが、そうでない場合は、機械翻訳に頼れる面もある。ただ、「頼りすぎ」はよくないとここで強調しておきたい。少なくとも、翻訳のチェック(校閲)を専門家に依頼しておく必要がある。必ずしも専門家でなくても、その言語のネイティブにみてもらうのも良い。

 ただ、これは誤訳を避けるためのものであり、多言語化の「分かりやすさ」を目指すものではない。「分かりやすい」多言語化にするためには、以下の点に気をつけるといいだろう。

①元の言語を「分かりやすい」言葉で表示

②「やさしい日本語」を使用+専門用語も併記

③安易に漢字表記だけにしたり、機械翻訳をしない

④直訳ではなく、目標言語の言い回しを使用

⑤多重チェック(翻訳者⇒校閲者⇒依頼者)

 以上の5つの注意点は、文化庁の『文化財の多言語化ハンドブック』で指摘する内容と重なる部分もあるが、そうでない部分もある。なお、文化財の多言語化については、翻訳依頼者側の視点で述べたヤナセの説も参考になる。(注5) ②については、筆者が既に指摘した内容である。(注6)

 ここで述べた分かりやすくて正確な多言語化は、外国人旅行者、在留外国人など日本にいる外国人に日本の文化や歴史を楽しんでもらう効果があるだけでなく、日本人に誇りを持ってもらい、日本文化を紹介するスキルを養成する教育の効果もある。グローバル化が進む現在、外国語教育も盛んであるが、日本人に自国の、または地元の文化をどのように外国語で発信すればいいか、多言語化はその生きた教材になる。そこで、時間や予算はかかるものの、一旦周りの文化財の多言語化をしっかりそのインフラを構築しておけば、それは大きな財産となり、次の世代につないでいくことができる。

(注1)日本政府観光局(JNTO)「日本の観光統計データ」(https://statistics.jnto.go.jp/)。

(注2)出入国在留管理庁(ISA)「令和4年末現在における在留外国人数について」(https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/13_00033.html)

(注3)文化庁『文化財の多言語化ハンドブック』2019(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/shuppanbutsu/handbook/index.html)

(注4)疾病管理庁「1.6.報道説明資料」https://www.kdca.go.kr/board/board.es?mid=a20501030000&bid=0015&list_no=721627&cg_code=C02&act=view&nPage=2

(注5)ヤナセ ペーテル「文化財の多言語化に失敗しないためには」、『文化財多言語化研究報告』(奈良文化財研究所研究報告28)、2021年、pp.6-11。

(注6)方国花「多言語化事業における校閲者の役割」、『文化財多言語化研究報告』(奈良文化財研究所研究報告28)、2021年、pp.46-48。


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キーワード : 多言語化 分かりやすい 正確 漢字表記 機械翻訳 誤訳
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総覧登録日 : 2024-03-26
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