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文化財多言語化研究報告 > 4 号 > 文化財多言語化担当者の役割

文化財多言語化担当者の役割

吴 修喆 ( 九州大学・言語文化研究院 )

A Coordinating Role for Multilingualization of Cultural Heritage

Wu Xiuzhe ( Faculty of Languages and Cultures, Kyushu University )
吴 修喆 2024 「文化財多言語化担当者の役割」 『文化財多言語化研究報告』 文化財多言語化研究報告 https://sitereports.nabunken.go.jp/online-library/report/23

1.はじめに

 2023年3月10日、奈文研主催の「第一回文化財多言語化研修」はオンライン形式で行われた。当初定員50名と予定していたが、初回ということもあって予想外の反響を受け、最終的にはオブザーバーを含め、80名以上の参加者を迎え入れた。わたしは本研修のコーディネーターとして、年度末のこの一大イベントを終えた後、二年半勤務した奈文研を離れ、文化財多言語化担当者の任を退いた。こうして振り返ってみると、当事者だったにもかかわらず、「文化財多言語化担当者」というのはやはりいささか奇妙な役柄だな、とあらためて感じてしまう。本稿は、当時の講義ノートをもとに、研修中・研修後の所感を書き加えたものであり、実際の講義内容とは若干異なる部分が含まれていることをあらかじめご了承願いたい。

2.運籌帷幄

 文化財多言語化担当者の役割を三つの四字熟語で表現してみると、最初の一つはこの運籌帷幄(うんちゅういあく)である。読み下しは「はかりごとを帷幄にめぐらす」となるが、すなわち、策略を本営の中で練って、遠くの戦場での勝利をもたらすことである。要するに、「多言語化担当者」というのは一種の裏方役であり、単なる翻訳者ではない。にもかかわらず、多言語化担当者を展示施設専属の翻訳者・通訳者として扱う現場が多い。あるいはその逆のパターン、翻訳・通訳は外注すればこと足りる、今では機械翻訳の精度も非常に高くなっているから、そもそも「多言語化担当者」というポストをわざわざ設ける意味がわからない、という考えを持っている組織も多数存在しているのではないだろうか。そのような考え方は、学芸員のことを「美術館の椅子に座っている人」(来館者と作品の安全を守る看視員)と間違われることに非常に似ている。むろん、ここでは、「看視員より、学芸員のほうが格上」「ただの翻訳者より、多言語化担当者のほうが偉い」といったようなことを言っているわけではない。ただ、たとえ同じ職場で働いていても、両者の役割はかなり異なっていることを、なるべく早い段階で周知させておきたい。なぜなら、翻訳業務にしか従事できないのでは、多言語化担当者の真価を発揮することができない。また、多言語化担当者が必要とする場面では、翻訳者だけではカバーできないからだ。

 「異言語間翻訳を超越する ──科学技術社会論の視点から見る文化財多言語化」(『文化財多言語化研究報告 2』2022)の中で、わたしは多言語化担当者の役割が「トランスレータ」だと述べた。「translator」は「翻訳者・通訳者」と同じ意味ではないか、と困惑されるかもしれないが、実はこの用語、科学社会学分野のアクター・ネットワーク理論から借りたものである。簡単にいえば、「トランスレータ」とは、とあるシステムにおいて、変換装置またはソフトウェアのような役割を果たす特殊なアクターであり、広範囲かつ異分野の協働を要するネットワークの中で「必須通過点」として機能することによって、すべてのアクターをより円滑に共通の目的地に導くことができる。さらに分かりやすくいうと、「トランスレータ」を〈指揮者〉と理解してもいい。文化財の多言語化事業に参加する研究者、学芸員、翻訳者、デザイナーたちは、みなそれぞれの〈楽器〉をもつ奏者である。そして、みんなは指揮者の振りを見ながらハーモニーを奏で、楽曲を完成させていく、といったイメージである。

 ただし、帷幄の中で策を練る裏方といっても、全く戦場を見ないと、「紙上談兵(紙の上で用兵を論じる)」になる。つまり、机上の空論に陥ってしまうかもしれない。それは、文化財の多言語化がとにかく多くの物質=モノと関わっているからである。われわれは単に展示用のテキストを翻訳するのではなくて、〈モノ〉を翻訳するのだ、ということを絶対に忘れてはいけない。この考えにもとづき、奈文研の多言語化担当者は着任すると、原則、所内新人研修の全コースに参加することになっている。平城地域と飛鳥・藤原地域の資料館、遺跡、発掘現場をめぐるだけでなく、土器・瓦などをこの手で取り、木簡や建築部材の実測図を描き、木器の年輪を観察して樹種を同定し、文化財写真の撮影法や古文書の取り扱い方などを教わる。こうして、文化財関連のさまざまな知識を初歩的だが広く吸収してはじめて、多言語化担当者の基礎ができあがる。また、研修をとおして各分野の専門家と知り合うことも、協働ネットワークを築くための重要な準備段階となる。たとえば、翻訳を外注する際にどのような参考資料が必要で、その資料がどこから入手できるか、専門用語の入っている訳文について誰に参考意見を求めるか、などの判断と調整ができるようになるのだ。

 現場を見るもう一つの目的は、「デザインの敗北」を避けるためである。「デザインの敗北」という表現は、近年、しばしばメディアに取り上げられている。簡単にいうと、「外観のおしゃれさを優先するあまり、その機能が正しく伝わらない失敗したデザイン」を指す。そのような残念なデザインは、各所の多言語化表記においてもよく見かける。たとえば、最近見たとある博物館の展示は、パネル上の解説文がきれいに訳されていて、非常に正確かつ分かりやすく、文字の大きさも問題はなかったが、日本語の解説文が黒い太文字であるのに対し、なぜか英語・中国語・韓国語のほうは水色の背景に細い線のフォントで、白抜き文字となっていた。見た目は大変洗練していたものの、ひとことでいうと、読みづらかった。とくに中国語のような筆画が密集している文章だと、白抜き文字はよけいに目の負担を大きくする。背景色とのコントラストがそこまで低くされると、読む側のことなど全く考えていないデザインだな、という印象を受ける。文字の種類によって読みやすいフォントやサイズが異なるので、事前に多言語化担当者の意見を取り入れてあれば、多言語表記における「デザインの敗北」は回避できるはずである。

3.新陳代謝

 二つ目は「新陳代謝(しんちんたいしゃ)」、すなわち、見直しとアップデートである。変化を敏感に察知し、問題点を見定め、随時デバッグ・アップデートしていく。そもそも、日本語のみならず、あらゆる現存する言語はいきものであり、時間とともに移り行くものである。しかし、現実では、既訳の解説文をリニューアルせずに何年もそのまま放置するところが多い。一方、翻訳の現場からは、できれば定期的に訳文を見直す機会を設けてほしいという声があがっている。翻訳者としては、より良い表現にしたいという気持ちが自然と湧いてくるし、たとえ同じ翻訳者が訳した文章であっても、時間の経過につれ、理解や考え方に変化が生じるのはなんの不思議もない。用語の更新や文言の修正のみならず、たとえば、以前なにげなく使っていた表現が、ある日突然、歴史的な変化によってデリケートな問題に発展しかねないものになってしまうかもしれない。そのような場合は、世界情勢や国際社会における価値観の変化に合わせて、速やかに訳文を改める必要がある。学術的な動向を注視するだけでなく、各言語圏における意識の変化を敏感に察知し、訳語や表記方針のアップデートを指示することもまた、多言語化担当者の重要な役割の一つである。

 具体例をあげれば、今回の研修で、事前に集めた質問の中でも、当日の総合討論でも、「なぜ多言語の標識に国旗を使用してはいけないか」というリアクションがあった。このような「素朴な疑問」の裏には、いまだ根深く残っている近代国家主義的イデオロギー(18世紀啓蒙思想の流れを汲む「言語-国家-民族が一致する」という幻想)の影響がうかがえる。「言語」と「国」を安直に一対一のセットとして捉える観念は、同じ言語が複数の国や離れた地域でも使われていること、一つの国には複数の公用語が存在しうること、人びとは異なる言語共同体の間を移動できること、われわれは誰もがある程度多言語話者であること、など世界の現実に考えがおよばず、認識が欠落していることを意味する。すでに形成している多言語社会に対し、新たな意識を喚起するためには、ひとまず重要なのは、「日本人/外国人」「日本語/外国語」といった二項対立から脱却することである。なぜなら、言語は人びとをつなぐものであり、常に越境しているし、越境しなければならないからだ。

 文化財の多言語化は単なる展示解説の翻訳ではない、ということを繰り返し説明してきたが、言語間翻訳が多言語化事業の軸足であることを否定しているわけではない。適度な業務量であれば、多言語化担当者が自ら翻訳を行うのが理想かもしれないが、施設やプロジェクトによっては、夥しい量のテキストを短期間で訳出しなければならないケースもある。予算が充実である場合は、タスクを細分化し、信頼できる翻訳者とチームを組んで効率的に進行するのが望ましい。随時アウトソーシングできるような環境を作るためには、多言語化担当者が自らの経験や人脈などを活かし、業務を依頼するための「頭脳バンク」を事前に築いておいたほうがいいだろう。しかし、昨今の財政情況を鑑みると、多言語化事業は予算、時間、人手、いずれも不足する現実に直面している。限られた条件の下で、機械翻訳(MT)と生成AIの手を借りるのは合理的な選択である。実際、今回の研修では、MTとAIの使い方や心得についても触れていた。大学教育においてMTとAIの利活用がすでに避けてとおれないものになっているように、今後の文化財多言語化研究にとってやるべきことのひとつは、これらのツールに関するノウハウを蓄積し、広めていくことであるように思われる。

 GPT-4が公開され、世界中に生成AIの旋風を巻き起こしたのは、初回文化財多言語化研修の4日後のことである。ただ、公開からわずか数ヶ月後に、すでに一部のタスクでは、GPT-4の回答精度がいちじるしく劣化していた、という検証結果が報じられた。本稿執筆時点(2023年10月)では、人びとの生成AIに向ける爆発的な関心が、沈静化とまでは言わずとも、初期段階の熱狂ぶりに比べるとだいぶ落ち着いてきたように見える。いずれにせよ、大型言語モデルには膨大な学習データが必要であり、信頼に値する結果を出すためには信頼性の高いソースが要る。文化財領域では(あるいは「科学全般」と書いた方が正しいかもしれないが)固定した訳のない用語や実物が多く存在し、既存の表現で対応しきれない新しい発見も今後つぎつぎと現れるだろう。新しいことばを生み出していくのは、やはり人間の領分でありつづけるべきである。

4.求同存異

 「求同存異(きゅうどうそんい)」は外交の場でよく使われる四字熟語で、時として「共通点を追求し、異なる点は棚上げする」と誤解され、消極的なイメージを持たれる場合もあるが、ここではシンプルに、多様性を尊重する文脈で理解したい。「棚上げにする」、つまり、放置して判断を停止するのではなくて、他者性と相違点を認めるうえで、共存する姿勢を指す。

 具体例として、たとえば、「文化財」という用語をどう訳すかという問題がある。日本の文化財保護法と同等する法律として、中国大陸では文物保護法、台湾では文化資産保存法がある。マスメディアではしばしば、「文化財」「文物」「文化資産」の3者を対訳語として扱っているが、それぞれの法律に定められている保護対象を比較すればすぐ分かるように、それらの対象範囲は一致しない。中国の「文物(wénwù)」には、日本でいう「天然記念物」や「無形文化財」などが含まれていないのが明白である。ただし、漢字表記かつ対象範囲が一致しなくても、この3つの法律・行政用語のオフィシャルな英訳は、近年において、「cultural heritage」に統一されつつある。訳語に現れたこのような傾向は、国際社会における「文化遺産」に対する価値観の変化に連動しているため、今後も引き続き注視すべきである。

 文化財分野のみならず、ほとんどの用語や概念は、異なる言語文化において「ズレ」がみられる。重要な相違点を無視し、ただちに同一視するのは危険であると同じように、共通点を無視して、何もかもすぐカタカナ語にして異質性を強調するのも考えものである。やむを得ず音訳しても構わないが、その場合は、説明を怠ってはいけない。文章の中で解釈しないと、解説文として機能しないし、伝わらなければ意味を持たない。「日本特有の概念/美意識だから、うまく説明できないが、考えるより感じて、察して」というようなスタンスをとる「多言語化」を時折見かけるが、それはそもそも、言語化すらできていないのではないか。たしかに、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」というヴィトゲンシュタインの有名な一文がある。しかし、われわれにとって、沈黙よりもまず考えねばならないのは、「訳せない」と思っていることばについて、本当に語り尽くしたのか、ということである。概念というものは、たとえ対訳が存在しなくても、解釈はできるはずである。訳注はそのためにあるものだから。むろん、訳注だらけの文章は読みづらいので、実際に文章を構成する際は、それなりの工夫を凝らさなければならない。どうすれば伝わるか、言語の特性と文化の差異を理解する専門家としての多言語化担当者こそ、表現の可能性を拓く第一線に立つべきである。

 文化財多言語化事業は、組織、資源、人材、時間、予算……さまざまな外的条件に制約されている。理想論を語るのは簡単だが、実際に変化を引き起こすのは至難の業である。そうだとしても、それは現状維持の理由にはならない。東博という例外を除いて、現在、国立文化財機構の各施設では基本、言語ごとに担当者を一人しかいない。できれば、年に一回の研修だけでなく、定期的に意見交換会あるいは研究会を開いて、一人ではなかなか解決できない問題を共有し、同じ役割を担う者同士で随時交流できるネットワークを築いてほしい。国立文化財機構内では、2020年からそのような動きがあり、2023年3月に九州国立博物館で交流会を行った。今後、多言語化担当者の交流の輪が全国に広がっていくことを期待している。

5.おわりに

 余談だが、本研修の約半年前、濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」を見た。その映画の中で、もっとも印象的で好きだった部分は、多言語演劇の稽古シーンである。ちなみに、その後、原作小説を買って読んだが、そのようなシーンは小説の中ではどこにも見当たらなくて、「多言語演劇」という設定自体が映画のオリジナルであることがわかった。なぜあのシーンにそこまで心を打たれたのか。おそらく、わたしはそこからある種、多言語化の理想のあり方を見いだしたからだと思う。役者たちはそれぞれの言語で、同じ舞台に立ち、同じ物語を共有していた。相手の〈ことば〉がわからなくても、〈はなし〉は理解でき、〈こころ〉は通じていた。願わくは、文化財の多言語化も、そのような明るい未来に向かって歩んでほしい。〈いま・ここ〉を共に生きているのだから、ことばを交わしながら、手を取り合って、人類共有の文化遺産を保護し、存続・伝承していくのではないだろうか。





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キーワード : 文化遺産 多言語化 翻訳者
データ権利者 : 吴 修喆
総覧登録日 : 2024-03-25
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