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石井要害跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62725
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.62725
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2019 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書16:石井要害跡』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2019 『石井要害跡』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書16
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書名 石井要害跡
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな いしいようがいあと
副書名
巻次 1
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 16
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20190327
作成機関ID 31202
郵便番号 683-0011
電話番号 0859262455
住所 福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 石井要害跡 第1次調査
遺跡名かな いしいようがいあと
本内順位
遺跡所在地 鳥取県米子市石井
所在地ふりがな とっとりけんよなごしいしい
市町村コード 312029
遺跡番号 156
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352417
東経(世界測地系)度分秒 1332050
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.404722 133.347222
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20180302-20180711
調査面積(㎡)
1300
調査原因 急傾斜地対策工事
遺跡概要
種別
城館
時代
中世(細分不明)
主な遺構
空堀
土手状遺構
集積遺構
柵列
主な遺物
陶磁器
土師器
須恵器
石製品
金属製品
特記事項
要約 石井要害跡は、米子市西部に位置し、加茂川左岸の標高29mの独立丘陵上に立地する。
今回の調査は、出丸と称される丘陵の頂部平坦面の南東側と南西側斜面の調査を実施した。
調査の結果、帰属時期は特定できなかったが、古い時期には頂部の南西側と南西側斜面の中腹で腰郭を検出し、頂部平坦面調査区の中央付近に設定したトレンチでは地山をほぼ垂直に2m以上掘り込んだ切岸を検出した。南西側斜面中腹の腰郭1は、平坦面に空堀が巡り、東側には障壁設置遺構が3ケ所あり、北西側には土手状遺構があり、その両側の防御を固めている。
16世紀前半から16世紀中頃になると、頂部と南西側斜面中腹では、これらの古い腰郭を大規模に埋め立てて造成し、郭を拡張している。造成土は非常に硬く締まっており、版築状を呈する。
頂部平坦面の拡張した郭では、土坑3基、集石遺構1基、ピット30基を検出したが、南西側斜面中腹の腰郭2では遺構は確認できなかった。
16世紀後半は遺物が出土していないことから、城主が不在あるいは廃城となったと考えられ、その後、16世紀末から17世紀初頭にかけては、量的には少ないが遺物が出土している.

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