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小糸尾萩野遺跡発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/19077
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.19077
引用表記 富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所 2017 『富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告73:小糸尾萩野遺跡発掘調査報告』富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所 2017 『小糸尾萩野遺跡発掘調査報告』富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告73
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書名 小糸尾萩野遺跡発掘調査報告
発行(管理)機関 (公財)富山県文化振興財団埋蔵文化財調査課 - 富山県
書名かな こいとおはぎのいせきはっくつちょうさほうこく
副書名 猪谷楡原道路建設に伴う埋蔵文化財発掘報告I
巻次
シリーズ名 富山県文化振興財団埋蔵文化財発掘調査報告
シリーズ番号 73
編著者名
編集機関
富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
発行機関
富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所
発行年月日 20170310
作成機関ID
郵便番号 9300887
電話番号 0764424229
住所 富山県富山市五福4384-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小糸尾萩野遺跡
遺跡名かな こいとおはぎのいせき
本内順位
遺跡所在地 富山県富山市小糸
所在地ふりがな とやまけんとやましこいと
市町村コード 16201
遺跡番号 301034
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 362851
東経(世界測地系)度分秒 1371417
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.480833 137.238055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20130610-20130722
20140916-20141127
調査面積(㎡)
4160
調査原因 道路(猪谷楡原道路)建設に伴う事前調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
近世(細分不明)
主な遺構
縄文-竪穴建物
掘立柱建物
土坑墓
土坑
主な遺物
縄文-縄文土器
石器
特記事項 縄文-竪穴建物・掘立柱建物・土坑墓を検出+縄文中期を主体として多量の土器と石器が出土
種別
時代
主な遺構
近世-道路状遺構
土坑
主な遺物
近世-越中瀬戸
唐津
伊万里
煙管
特記事項 近世-道路状遺構は飛驒街道東道の一部である可能性が高い
要約  縄文時代の集落は中期前葉末~中葉にかけてそのピークを迎え,竪穴建物1~2棟,掘立柱建物,土坑墓で構成される小規模な集落が,限られた平坦面に点々と立地しているとみられる。土坑墓には副葬品の外,遺体や遺体の顔を覆ったと推測する縄文土器が出土しており,葬送文化の一端が明らかになった。また,縄文土器の文様や胎土,石器の使用石材などから,他地域との交流が盛んであったことが伺える。
 近世の飛驒街道東道の一部とみられる道路状遺構は,幅2.7m,長さ20mにわたり確認した。道路は南から北に向かって下降斜していき,両側に側溝が沿う。路面には溝や段差,規則的に並ぶピットがみられるが,その機能は不明である。この道路が整備された背景には周囲で開発された鉱山との密接な関係があり,鉱山の衰退や西道の利用により17世紀後半以降には廃れていったと考えられる。

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