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鹿糠浜2遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/54321
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.54321
引用表記 公益財団法人 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 2019 『岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書702:鹿糠浜2遺跡発掘調査報告書』国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所他
公益財団法人 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 2019 『鹿糠浜2遺跡発掘調査報告書』岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書702
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書名 鹿糠浜2遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター - 岩手県
書名かな かぬかはま2はっくつちょうさほうこくしょ
副書名 三陸沿岸道路建設事業関連遺跡発掘調査
巻次
シリーズ名 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 702
編著者名
編集機関
公益財団法人 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
発行機関
国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所
公益財団法人 岩手県文化振興事業団
発行年月日 20190315
作成機関ID 03000
郵便番号 0200853
電話番号 0196389001
住所 岩手県盛岡市下飯岡11地割185
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 鹿糠浜Ⅱ遺跡
遺跡名かな かぬかはま2いせき
本内順位
遺跡所在地 岩手県九戸郡洋野町種市第15地割地内
所在地ふりがな いわてけんくのへぐんひろのちょうたねいちだい15ちわりちない
市町村コード 03507
遺跡番号 IF58-1354
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 402328
東経(世界測地系)度分秒 1414309
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 40.391111 141.719166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20170419-20170915
調査面積(㎡)
8900
調査原因 三陸沿岸道路
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
奈良
主な遺構
竪穴住居跡
土坑
陥し穴状遺構
柱穴
遺物集中部
主な遺物
縄文土器
縄文石器
土製品
石製品
土師器
特記事項 縄文時代後期の集落
要約  鹿糠浜Ⅱ遺跡は太平洋へと延びる丘陵に形成されている縄文時代奈良時代の複合遺跡である。縄文時代中期から後期初頭にかけては丘陵の南向き斜面部を中心に陥し穴状遺構が配置されている。また、後期前葉には集落が形成されており、丘陵頂部に竪穴住居、南北の斜面部にフラスコ状土坑を中心とした土坑を配置させている。集落は場所によって形成される遺構が異なることが捉えられている。放射性炭素年代測定からも良好な成果が得られており、短期間に形成されていたことが窺える。遺跡の性格は、縄文時代中期末から後期に推移していく過程で狩猟場から集落へと変化していく様子が認められてる。奈良時代には竪穴住居を確認しているが、集落を形成するまでには至っていない。
 周辺遺跡の成果をみていくと、縄文時代後期前葉の集落は規模の大きなものであることから稀有な事例と言える。

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