深江にあった戦争1
深江塾
かつてこの深江の町には「あの戦争」の傷が深く刻まれた。昭和二十年(一九四五)には米軍のB29爆撃機を中心とした空襲が幾度もあった。当時武庫郡本庄村と呼ばれたこの地の海岸には海軍の軍需工場である川西航空機甲南工場があった。昭和二十年になってからはこの工場を目標とした大規模な空襲があり、深江の町の大部分が爆弾や焼夷弾によって破壊され焼けた。住む家だけでなく村人も多くがその犠牲になった。