金剛坂式土器の系譜 紅村弘の学説を振り返る
永井 宏幸
紅村弘が提唱した金剛坂式土器の系譜を検討する。まず紅村による半世紀におよぶ研究から、紅村の言説を振り返り、現状での定義を再考する。ついで、遠賀川式土器から派生したのではなく、縄文晩期土器からの系譜を主張する紅村の考え方に導かれながら、近年の新出資料に型式学的検討を加える。ところで、伊勢湾西岸以東の地域型突帯紋系土器は馬見塚式土器の無紋・条痕紋土器(増子2類)を含まない。一方、西岸域における突帯紋系土器様式の終焉と遠賀川系土器の交流の一端が金剛坂式土器を成立させた。その過程を西岸域および琵琶湖周辺を含めた環伊勢湾岸域に求め、検討した。その結果、突帯紋系土器様式と遠賀川系土器様式の折衷形として在地型遠賀川系土器、すなわち金剛坂式土器が成立したことを提示した。