古墳文化共鳴の風土
赤塚 次郎
弥生時代からの伝統的地域社会が、いかなる要因で前方後円墳や前方後方墳を採用し、造営していったのかという点を、特に地域社会の側に立脚して考えてみたい。前方後円(後方)墳とは、本来が弥生社会が生み出した地域型墳丘墓から出発している点を確認し、その大きさや形、墳丘テクスチャーなどはすべてそれぞれの地域社会がほぼ独自に決めてきたものであり、かつ所有しているものであると考える。したがって前方後円(後方)墳はヤマトから一元的に拡散したのではなく、すでにそれ以前に普遍化していた地域型墳丘墓から、その地域が時間をかけ選択し収斂した結果にすぎないものである。そこに王権のデザインへの共鳴現象が関与し、民族的な問題を止揚する方向性が生み出される。