近世期兵庫津北浜における浜先地開発と屋敷割の変化について
The seashore development and the ground plan for houses at Kitahama, the north Hyogo-tsu during the Edo period.

髙久 智広 ( Takaku Tomohiro )
近年、飛躍的に進展した都市史研究の成果をもとに前近代の都市空間復元が各地で試みられている。兵庫津においても埋蔵文化財調査が積み重ねられ、絵図や古地図を用いた歴史的景観の復元なども試みられるようになってきている。兵庫津では明和 6(1769)年の上知を契機として、海岸部の大規模な開発が行われているが、新たに創出された町場の屋敷割は、旧来の町場とは全く異なる性格を持っている。本稿では元禄・安永・天保の3つの時期の絵図をもとに、開発が行われた兵庫津北浜の屋敷割に関する基礎データを示すとともに、新開地における屋敷割の特質を検討し、この開発が行われた意義について考察した。
髙久智広 2002「近世期兵庫津北浜における浜先地開発と屋敷割の変化について」 『神戸市立博物館研究紀要』 https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/19893
NAID :
都道府県 : 兵庫県
時代 近世(細分不明)
文化財種別 絵画 歴史資料 埋蔵文化財
史跡・遺跡種別 集落
遺物(材質分類)
学問種別 考古学 文献史学
テーマ 技法・技術 資料紹介 制度・政治 その他
他の電子リソース :
総覧登録日 : 2021-11-15
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