鞠智城と菊池川中流域の地域社会との関係解明を目的とした考古学的研究
柴田 亮
本研究の目的は、鞠智城と菊池川中流域に所在する遺跡の考古学的分析によって、九世紀後半から十世紀の地域社会と鞠智城の関係性について明らかにすることである。
鞠智城の成立は、その立地が大きな意味を持ち、菊池川中流域に広がる菊鹿盆地を強く意識したものであった。鞠智城Ⅳ期(八世紀第4四半期から九世紀第3四半期)に菊鹿盆地で大規模な開発が行われた際に、鞠智城の機能は城から倉庫へと変化する。鞠智城Ⅳ期の開始時期と菊池川中流域の遺跡が増加する時期がほぼ一致しており、鞠智城が山鹿郡・菊池郡・合志郡といった菊池川中流域と密接に関わっていたことを示している。鞠智城Ⅳ期の倉庫群は八世紀後半に実施された国家的な開発事業に伴い、その生産品を納める目的で成立した。その後、九世紀後半に発生した大規模な気候変動や相次ぐ国家開発事業による税収減の対策を目的として、公営田が菊池川中流域に設置されると、鞠智城の倉庫群は公営田関係者の利用する倉庫へと質的に変化したと考えられる。
鞠智城の成立は、その立地が大きな意味を持ち、菊池川中流域に広がる菊鹿盆地を強く意識したものであった。鞠智城Ⅳ期(八世紀第4四半期から九世紀第3四半期)に菊鹿盆地で大規模な開発が行われた際に、鞠智城の機能は城から倉庫へと変化する。鞠智城Ⅳ期の開始時期と菊池川中流域の遺跡が増加する時期がほぼ一致しており、鞠智城が山鹿郡・菊池郡・合志郡といった菊池川中流域と密接に関わっていたことを示している。鞠智城Ⅳ期の倉庫群は八世紀後半に実施された国家的な開発事業に伴い、その生産品を納める目的で成立した。その後、九世紀後半に発生した大規模な気候変動や相次ぐ国家開発事業による税収減の対策を目的として、公営田が菊池川中流域に設置されると、鞠智城の倉庫群は公営田関係者の利用する倉庫へと質的に変化したと考えられる。