栃木県北東部における敷石住居の出現と柄鏡形住居の受容−那須塩原市槻沢遺跡の発掘調査成果を中心に−
後藤 信祐
( GOTO Shinsuke )
敷石住居・柄鏡形住居は縄文時代中期後葉から後期前葉に中部地方から東北地方南部で確認されているが、両地域の関係を明らかにするには栃木県の様相、特に那珂川上流域の様相を明らかにすることが重要と考える。そこで那須塩原市槻沢遺跡を主に、栃木県北東部の中期後葉の住居正中線上の張出部、床面の部分敷石や石列を取り上げ、住居敷石の出現と柄鏡形住居の受容について再検討をおこなった。
その結果、部分敷石については複式炉の土器埋設部を中心とした敷石からの発展したものが後期前葉まであり、継続する拠点集落内では一時期1軒程度存在すると予想した。住居正中線上の張出部については、槻沢遺跡では中期後葉の複式炉住居の前庭部に多く検出され出入口部と考えられるものの、それ以降の住居では張出部が発達しないことから、中期末葉~後期前葉の柄鏡形(敷石)住居は、従来から言われてきたように関東地方南西部系譜の住居であることを確認した。また、栃木県北東部ではこのような柄鏡形(敷石)住居は、中期末~後期初頭の段階には継続集落から離れた地点に単独で検出される傾向があり、後期初頭~前葉には継続集落内に1 軒営まれるもの、新たに配石遺構を伴う数軒の柄鏡形(敷石)住居を含む集落が出現するなど多様なものがあると予想した。
その結果、部分敷石については複式炉の土器埋設部を中心とした敷石からの発展したものが後期前葉まであり、継続する拠点集落内では一時期1軒程度存在すると予想した。住居正中線上の張出部については、槻沢遺跡では中期後葉の複式炉住居の前庭部に多く検出され出入口部と考えられるものの、それ以降の住居では張出部が発達しないことから、中期末葉~後期前葉の柄鏡形(敷石)住居は、従来から言われてきたように関東地方南西部系譜の住居であることを確認した。また、栃木県北東部ではこのような柄鏡形(敷石)住居は、中期末~後期初頭の段階には継続集落から離れた地点に単独で検出される傾向があり、後期初頭~前葉には継続集落内に1 軒営まれるもの、新たに配石遺構を伴う数軒の柄鏡形(敷石)住居を含む集落が出現するなど多様なものがあると予想した。