横穴式石室からみた下毛野南西部の社会関係―伯仲1号墳を中心に―
Social Relations in Kofun Period around Southwest Shimotsukeno Region as Seen from the Corridor-Style Stone Chamber : Focusing on Hakuchu No. 1 Burial Mound.
荒井 啓汰
( ARAI Keita )
主に6世紀後葉から7世紀前葉の横穴式石室を検討対象として、栃木市伯仲1号墳を中心とした栃木県南西部地域の社会関係を考える。伯仲1号墳は山石を使用する無袖有段構造石室であるが、無袖無段構造の可能性も残る。本稿では石室の伝播や系譜よりも、地域内における石室の共通性や差異性に目を向け、その社会的状況を追及する。
伯仲1号墳と、渡良瀬川南岸の足利市永宝寺古墳の石室は、平面長方形で胴張のない直線的形状で、玄室の法量も近似する。無袖で、複数石材の框石を有し、玄室に向かって一段下がる。奥壁は大型鏡石の上に小型石材、側壁一段目に比較的大型の石材を横位に用い、持ち送りが比較的弱い。チャートを中心に山石を用い、石室構築過程も共通性がある。復元長57mの伯仲1号墳と長66mの永宝寺古墳は規模も近く、埴輪をもち、6世紀後葉(TK43型式併行期)の築造が想定される。横穴式石室・墳丘規模・時期・副葬品から、両者は類似の社会的・階層的位置にある。
伯仲1号墳の無袖有段構造石室は、周辺地域の永野川流域の立柱石を伴う疑似袖の横穴式石室や、無段無袖石室とは異質で、立地・群構造からも位置付けが異なる。また、両袖石室や胴張形無袖石室が主体となる足利地域における永宝寺古墳の位置付けもやや異質で、立地や階層構造も異なる。このように足利地域における永宝寺古墳と、永野川流域における伯仲1号墳は、類似した社会状況が考えられる。ただし、足尾山塊の山石を使用するので、無関係ではない。伯仲1号墳は、永野川流域の大平・皆川地域と関係をもちつつもそれとは異なる社会・政治組織で、足利地域における永宝寺古墳と同様のポジションにあったと想定できる。
伯仲1号墳と、渡良瀬川南岸の足利市永宝寺古墳の石室は、平面長方形で胴張のない直線的形状で、玄室の法量も近似する。無袖で、複数石材の框石を有し、玄室に向かって一段下がる。奥壁は大型鏡石の上に小型石材、側壁一段目に比較的大型の石材を横位に用い、持ち送りが比較的弱い。チャートを中心に山石を用い、石室構築過程も共通性がある。復元長57mの伯仲1号墳と長66mの永宝寺古墳は規模も近く、埴輪をもち、6世紀後葉(TK43型式併行期)の築造が想定される。横穴式石室・墳丘規模・時期・副葬品から、両者は類似の社会的・階層的位置にある。
伯仲1号墳の無袖有段構造石室は、周辺地域の永野川流域の立柱石を伴う疑似袖の横穴式石室や、無段無袖石室とは異質で、立地・群構造からも位置付けが異なる。また、両袖石室や胴張形無袖石室が主体となる足利地域における永宝寺古墳の位置付けもやや異質で、立地や階層構造も異なる。このように足利地域における永宝寺古墳と、永野川流域における伯仲1号墳は、類似した社会状況が考えられる。ただし、足尾山塊の山石を使用するので、無関係ではない。伯仲1号墳は、永野川流域の大平・皆川地域と関係をもちつつもそれとは異なる社会・政治組織で、足利地域における永宝寺古墳と同様のポジションにあったと想定できる。