国家形成期における倭王権の交通と鞠智城
越智 勇介
鞠智城の前身施設と考えられる米原台地上の集落は、菊池地域内の各開発拠点を統合する目的だけのために設置されたのではなく、肥後地域の在地勢力を牽制する目的で築かれた。臨機な人・モノの移送を可能とする交通路が拓かれて、初めてそれは実現する。米原台地上の拠点の成立時期が六世紀に遡るならば、車路の前身道路が六世紀にはすでに萌芽的に形成されていた可能性がある。