三島ヶ嶽経塚小考 ―富士山本宮浅間大社所蔵写真資料から―
勝又 直人
三島ヶ嶽経塚は昭和5年(1930)に富士山頂で発見された。出土遺物として経巻が納入された経筒や経軸・水瓶・土器等、また埋納施設として木槨が発見されている。その規模や文献等から久安5(1149)の末代による一切経埋納の遺物や、末代以降の埋経と考えられている。平成20年度に実施された富士山世界文化遺産登録推進事業にかかり、富士宮市教育委員会が富士山本宮浅間大社において昭和5~6年の三島ヶ嶽経塚に関する報告で使用された写真の一部や未発表写真を確認した。名称不詳経典の写真について観察した結果、『大慈恩寺三藏法師傳』・『大方等大集経』の一部であると推定された。また既に確認されていた『佛本行集経』・『南海歸寄内法傳』の存在も勘案すれば、当該経典群は末代の埋納した一切経である可能性を補強する。今後、出土遺物や写真の所在確認・検討により三島ヶ嶽経塚の再評価がなされるものと期待される。