奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
40102 件
( 発行機関数 742 機関 )
現在の書誌登録数
132045 件
( 前年度比 + 1176 件 )
( 発行機関数 1912 機関 )
現在の遺跡抄録件数
146965 件
( 前年度比 + 1716 件 )
現在の文化財論文件数
120131 件
( 前年度比 + 1078 件 )
現在の文化財動画件数
1262 件
( 前年度比 + 73 件 )
( 登録機関数 113 機関 )
文化財イベント件数
1161 件
( 前年度比 + 109 件 )
※過去開催分含む

中条遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/90263
引用表記 刈谷市教育委員会 2019 『中条遺跡発掘調査報告書』刈谷市教育委員会
刈谷市教育委員会 2019 『中条遺跡発掘調査報告書』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=堅証|last=鵜飼|first2=あすか|last2=河野|first3=郁乃|last3=佐野|first4=義敏|last4=平井|first5=友也|last5=長田|first6=倫子|last6=新美|first7=裕南|last7=村松|first8=弘展|last8=竹原|title=中条遺跡発掘調査報告書|origdate=2019-03-31|date=2019-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/90263|location=愛知県刈谷市東陽町1丁目1番地|ncid=BB21670545|volume=4: 平成12年度調査}} 閉じる
ファイル
書名 中条遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 刈谷市 - 愛知県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kariya.lg.jp/kankobunka/rekishibunka/kankoubutu/kankobutsu.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな なかじょういせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次 4: 平成12年度調査
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
刈谷市教育委員会
発行機関
刈谷市教育委員会
発行年月日 20190331
作成機関ID 232106
郵便番号 4488501
電話番号 0566621037
住所 愛知県刈谷市東陽町1丁目1番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中条遺跡(平成12年度)
遺跡名かな なかじょういせき
本内順位
遺跡所在地 愛知県刈谷市重原本町5丁目地内
所在地ふりがな あいちけんかりやししげはらほんまちごちょうめちない
市町村コード 232106
遺跡番号 530066
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345931.5
東経(世界測地系)度分秒 1370120.5
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.992083 137.022361
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20000401-20010331
調査面積(㎡)
4000
調査原因 土地区画整理事業計画
遺跡概要
種別
散布地
時代
旧石器
主な遺構
主な遺物
細石核
特記事項 遺跡名かな:なかじょういせき へいせい12ねんど
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴建物1
土坑
ピット
主な遺物
縄文土器
石鏃
特記事項 縄文中期後葉の竪穴建物を1棟検出。
種別
集落
時代
飛鳥白鳳
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物70
掘立柱建物28
土坑
ピット
主な遺物
須恵器
土師器
灰釉陶器
緑釉陶器
製塩土器
特記事項 律令期の竪穴建物・掘立柱建物を多数検出。
緑釉陶器が出土。
種別
集落
城館
時代
鎌倉
主な遺構
土坑
ピット
主な遺物
山茶碗
常滑甕
中世土師器
特記事項
種別
集落
城館
時代
室町
主な遺構
土坑
ピット
主な遺物
中世土師器
古瀬戸
中国製磁器
特記事項
要約  中条遺跡は市域を西流する猿渡川右岸の台地上に立地し、古代末に成立した「重原荘」の中心域に推定されている。平成12年度調査は平成9年度から続く一連の発掘調査の最終年度にあたり、遺跡の南西部及び北東部の区域約4,000㎡を対象に実施された。
 原始では、遺跡北東部の調査区で縄文時代中期後葉の竪穴住居が1棟検出された。南東に向いた住居出入口部と思われる張り出しや、胴下半部のみであったが住居出入口部付近の埋設土器も確認された。遺構周辺には石鏃や剥片類の出土が多く、黒曜石3点の産地分析結果はいずれも長野県諏訪エリア産と推定された。
 古代では、飛鳥時代から奈良時代の竪穴建物や掘立柱建物が多数検出された。竪穴建物は各調査区に高い密度で検出されたが、掘立柱建物は遺跡北東部の調査区では希薄であった。須恵器や土師器とともに製塩土器が多く出土したほか、陰刻花紋をもつ緑釉陶器が1点出土した。
 中世では、鎌倉時代から室町時代の区画溝が検出された。鎌倉時代では、遺跡南西部の調査区で幅約20mの長方形に土地が区画されている状況が確認された。北東部の調査区でも幅約25mの区画が確認されたが、緩やかな弧を描くように湾曲していた。室町時代の区画溝は北東部の調査区でのみ検出されたが、鎌倉時代の区画を一部踏襲するような状況であった。日常品の山茶碗などとともに中国製の白磁や青磁といった高級品の出土もみられ、武士居館としての様相を示している。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 154
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力