青森県二ツ森貝塚発掘調査概要
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/88550 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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引用表記 | 青森県教育委員会 1962 『青森県二ツ森貝塚発掘調査概要』青森県教育委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
青森県教育委員会 1962 『青森県二ツ森貝塚発掘調査概要』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
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書名 | 青森県二ツ森貝塚発掘調査概要 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 青森県埋蔵文化財調査センター - 青森県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | あおもりけんふたつもりかいづかはっくつちょうさがいよう | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
青森県教育委員会
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発行機関 |
青森県教育委員会
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発行年月日 | 19620000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 022012 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 縄文時代前期から中期末の貝塚である。作田川・坪川などの小河川に挟まれた洪積台地の鞍部に馬蹄形をなして5か所存在し、その総面積は5ヘクタールに及ぶ。台地の西縁にそって南から1・2号、貝塚集落の西北端を3号、赤川と東北本線をのぞむ東縁にそって北から4・5号と区別される。昭和7年の道路工事は1・2号を切断しており、工事の際青竜刀型骨製品を出土している。昭和8年角田文衛が調査したのは4・5号であるという。地表面にみられる貝類は、1号が淡水性、2号が上部では淡水性、下部では海水性の貝類を主体とし、3・4・5号は淡水性海水性の両性である。今回の発掘調査は、1号と2号貝塚で行われた。 1号貝塚からは、貝層の下に土器捨て場が検出された。遺物は、角・牙・骨類、骨角製品、石器、土器、そして人骨の半体分と頭頂部が出土した。貝層から縄文中期末の土器、土器捨て場から中期・前期の土器、黒色・黒褐色砂質土層から前期の土器が発掘された。 2号貝塚は、1種類の貝によって1つの層を成すものが多い。全体をみるとかなりの長年月にわたり形成されたと思われるが、出土する土器を編年的に見た場合断絶していることから、一時期の生活活動は短かったと考えられる。出土遺物は、骨角器、貝製品、石器、土器である。土器の出土量は多く、リンゴ箱40箱分出土した。特記すべき遺物として、第2貝層上部から出土したカンザシ(鹿角製櫛:現在県重宝)がある。 |