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阿賀川改修(長井地区)遺跡発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/86550
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.86550
引用表記 福島県文化振興事業団遺跡調査部遺跡調査課 2011 『福島県文化財調査報告書482:阿賀川改修(長井地区)遺跡発掘調査報告』福島県教育委員会他
福島県文化振興事業団遺跡調査部遺跡調査課 2011 『阿賀川改修(長井地区)遺跡発掘調査報告』福島県文化財調査報告書482
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書名 阿賀川改修(長井地区)遺跡発掘調査報告
発行(管理)機関 福島県教育委員会 - 福島県
有償頒布・配布ページ https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/70017a/
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな あががわかいしゅうながいちくいせきはっくつちょうさほうこく
副書名 小田高原遺跡 1次調査
巻次 1
シリーズ名 福島県文化財調査報告書
シリーズ番号 482
編著者名
編集機関
福島県文化振興事業団遺跡調査部遺跡調査課
発行機関
福島県教育委員会
福島県文化振興事業団
国土交通省北陸地方整備局阿賀川河川事務所
発行年月日 20111216
作成機関ID
郵便番号 9608688
電話番号 0245211111
住所 福島県福島市杉妻町2−16
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 小田高原遺跡(1次調査)
遺跡名かな おだこはらいせき
本内順位
遺跡所在地 福島県喜多方市慶徳町山科字古屋敷・西新田
所在地ふりがな 福島県喜多方市慶徳町山科字古屋敷・西新田
市町村コード 072087
遺跡番号 00024
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 373707
東経(世界測地系)度分秒 1394802
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.618611 139.800555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100513-20101217
調査面積(㎡)
15800
調査原因 河川改修(阿賀川)に伴う記 録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
奈良
平安
近代(細分不明)
主な遺構
竪穴住居跡
須恵器窯
土師器焼成坑
土坑
焼土遺構
竪穴遺構
主な遺物
縄文土器
土師器
須恵器
稜椀
瓦塔
獣脚
鉄製品
鉸具
特記事項 平安時代を中心とする集落跡を確認し、須恵器窯跡・土師器焼成土坑などの土器生産遺構を検出した。
また、遺物では、瓦塔・獣脚などの仏具や、帯金具のと鉸具などが出土した。
要約 小田高原遺跡は、阿賀川右岸に位置し、標高170〜200mの河岸段丘上に立地する。
本年度の調査では縄文時代と奈良・平安時代の遺構・遺物を確認することができた。
奈良・平安時代では、竪穴住居跡と須恵器窯跡、土器焼成坑などで構成される集落跡を確認している。これらの集落は、出土遺物の特徴などから、8世紀末葉〜9世紀前葉と9世紀中葉〜後葉の2時期が想定される。8世紀末葉〜9世紀前葉の集落は、標高198m程の河岸段丘上位の小田高原台地で確認された。遺構の分布状況などから、集落の中心部分は調査区東側に広がる台地上に形成されているものと考えている。
集落の南側は、昭和40年代後半に須恵器資料が採集されている小田高原窯跡推定地にあたるが、今回の調査では小田高原窯跡に関係する遺構は確認されなかった。調査区内からは土器焼成坑と考えられる土坑も確認されており、集落内で須恵器生産と焼成坑による土器生産が併せて行われていたものと想定される。
集落内で出土した遺物は、伴膳具、煮炊具、貯蔵具の他に、仏具と考えられる稜椀、瓦塔、獣脚なども確認されている。鉄製品の中には帯金具の鉸具も出土しており、出土遺物の内容からみても一般的な集落とは様相が異なる。9世紀中葉〜後葉の集落は阿賀川沿いの標高170〜176m程の河川敷で確認された。
この時期も竪穴住居跡、須恵器窯跡、土器焼成坑などで構成される集落が引き続き営まれている。集落内からは、3基の須恵器窯跡が確認された。これらの窯跡は、いずれも長軸が2.5m程で比較的規模が小さく、出土遺物も杯類がほとんどであり、小型品を生産する窯跡と考えられる。
なお、竪穴住居跡に近接して土器焼成坑が位置していることから、これらの竪穴住居跡については工房的な性格を持っていた可能性がある。出土遺物は、土師器・須恵器、鉄製品(短刀、刀子)などが出土している。
このほかに11世紀後半〜12世紀前半の土器も少量ながら出土しているが、これらの土器に伴う遺構は確認できなかった。
以上、小田高原遺跡については、8世紀末葉〜9世紀後葉の生産集落であることが今回の調査で確認された。当地域においては8世紀末葉〜9世紀前葉の集落跡の調査は少なく、貴重な追加資料といえる。
なお、8世紀末葉〜9世紀前葉の集落跡が営まれている小田高原台地の北東部には西新田窯跡が位置している。
これらのことから、小田高原遺跡周辺では8世紀末葉〜9世紀後葉の間、地点を変えながらも継続して須恵器生産が行われていたものと考えられる。
また、本遺跡は出土遺物の内容や交通の要所に営まれている点などから、当地域の拠点的集落と思われる。 

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