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中原D遺跡第4地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71227
引用表記 玉川文化財研究所 2014 『神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書18:中原D遺跡第4地点』玉川文化財研究所
玉川文化財研究所 2014 『中原D遺跡第4地点』神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書18
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ファイル
書名 中原D遺跡第4地点
発行(管理)機関 神奈川県教育委員会 - 神奈川県
書名かな なかはらDいせきだい4ちてん
副書名 平塚児童相談所(仮称)新築工事に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 18
編著者名
編集機関
玉川文化財研究所
発行機関
玉川文化財研究所
発行年月日 20140310
作成機関ID
郵便番号 2210822
電話番号 0453215565
住所 神奈川県横浜市神奈川区西神奈川1-8-9
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中原D遺跡第4地点
遺跡名かな なかはらDいせき
本内順位
遺跡所在地 神奈川県平塚市中原三丁目1-6
所在地ふりがな かながわけんひらつかしなかはら3ちょうめ1-6
市町村コード 14203
遺跡番号 平塚市№161
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352059
東経(世界測地系)度分秒 1392007
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.349722 139.335277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120127-20120330
20120401-20120921
20130204-20130225
調査面積(㎡)
184861
調査原因 施設建設
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
飛鳥白鳳
奈良
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
土坑 - 7(近代以降)
畝状遺構 - 28(近代以降)
周溝状遺構 - 4(近代以降)
ピット - 2(近代以降)
道状遺構 - 1(中世・近世)
溝状遺構 - 1(中世・近世)
土坑 - 8(中世・近世)
畝状遺構 - 4(中世・近世)
ピット - 2(中世・近世)
竪穴住居跡 - 18(古墳~平安)
掘立柱建物跡 - 21(古墳~平安)
道状遺構 - 4(古墳~平安)
溝状遺構 - 4(古墳~平安)
土坑 - 38(古墳~平安)
ピット - 523(古墳~平安)
主な遺物
国産陶磁器(近代以降)
国産陶磁器(中世・近世)
須恵器(古墳~平安)
土師器(古墳~平安)
灰釉陶器(古墳~平安)
土製品(古墳~平安)
石製品(古墳~平安)
鉄製品(古墳~平安)
特記事項 なし
要約 今回の調査では近代以降、中・近世、古墳時代後期~奈良・平安時代の遺構・遺物が検出された。その中心は古墳時代後期(7世紀)に始まり、8世紀前半と9世紀中葉に二度ほど途切れるが、その後は10世紀前半まで存続した。全体を通してみると、V期(8世紀後半~末葉)とⅦ期頃(10世紀前半頃)に竪穴住居の増加傾向が認められる。この傾向は掘立柱建物でも概ね同様であった。本遺跡周辺では、今までに同時代の遺跡が調査されているが、大溝や畝状遺構が多く発見され、官衙関連の遺構や遺物の発見は少ない。また国府推定域からもはずれていることから、農業などを生業とした集落であったと考えられる。中・近世から近代以降にかけては、道状遺構・溝状遺構・土坑・畝状遺構などが発見された。大半の遺構は遺物を伴っておらず、中世以降においても遺構群のほとんどは生産地との関連が推測される土地区画や貯蔵施設、畑地などの痕跡と考えられる。

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