奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41485 件
( 発行機関数 759 機関 )
現在の書誌登録数
132562 件
( 前年度比 + 1888 件 )
( 発行機関数 1918 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147727 件
( 前年度比 + 2285 件 )
現在の文化財論文件数
120638 件
( 前年度比 + 1645 件 )
現在の文化財動画件数
1314 件
( 前年度比 + 130 件 )
( 登録機関数 118 機関 )
文化財イベント件数
1263 件
( 前年度比 + 214 件 )
※過去開催分含む

鈴川の富士塚

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71159
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.71159
引用表記 富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2018 『富士市文化財調査報告書6:鈴川の富士塚』富士市教育委員会
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課) 2018 『鈴川の富士塚』富士市文化財調査報告書6
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=武男|last=石川|first2=初恵|last2=池谷|first3=卓哉|last3=井上|first4=康正|last4=大高|first5=香代子|last5=松田|first6=玄珠|last6=山本|first7=愛|last7=伊藤|title=鈴川の富士塚|origdate=2018-03-31|date=2018-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/71159|location=静岡県富士市永田町1丁目100番地|ncid=BB26026747|doi=10.24484/sitereports.71159|series=富士市文化財調査報告書|volume=6}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 鈴川の富士塚
発行(管理)機関 富士市 - 静岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.fuji.shizuoka.jp/kyouiku/c0403/fmervo000000aysq.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな すずかわのふじづか
副書名
巻次
シリーズ名 富士市文化財調査報告書
シリーズ番号 6
編著者名
編集機関
富士市教育委員会(富士市市民部文化振興課)
発行機関
富士市教育委員会
発行年月日 20180331
作成機関ID 222101
郵便番号 4178601
電話番号 0545552875
住所 静岡県富士市永田町1丁目100番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 富士塚遺跡
遺跡名かな ふじづかいせき
本内順位
遺跡所在地 富士市鈴川西町628-496外
所在地ふりがな ふじしすずかわにしちょう
市町村コード 222101
遺跡番号 118
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350822.85
東経(世界測地系)度分秒 1384207.91
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.13968 138.702197
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080805-20080806
20090623-20090630
20151208-20160121
20170703-20170727
調査面積(㎡)
29
8
23
調査原因 確認調査
遺跡概要
種別
祭祀
時代
江戸
主な遺構
自然低丘
主な遺物
陶磁器
鉄製品
特記事項
要約  富士塚遺跡は北に富士山を望み、駿河湾に隣接する田子の浦砂丘上に位置する富士山信仰に関連する遺跡である。富士塚は江戸時代の地誌には、富士山登拝前に石を積み上げ、安全を祈願したと記載されている。
 確認調査の結果、昭和51年に復元された埋土下に、地上高2.60mほどの自然低丘が確認された。周辺に散在する礫は分析の結果、周辺の海岸から持ち込まれた可能性が高いことから、塚は本来、自然低丘に石を積み上げたものと確認された。
 出土遺物資料は少ないものの、18世紀中頃の肥前焼の碗が出土した。
 「鈴川の富士塚」は富士講成立以前、中世に成立したものと考えられ、江戸時代初めに本来の信仰形態は断絶したと考えられるが、江戸時代中期に浅間宮を勧請し、吉原湊を管理する各村で信仰されていた。
 また、富士山本宮浅間大社の儀礼場とされていた。明治~昭和初期に、再び本来の信仰形態が復活したが、塚が復元される昭和51年までは再び断絶していた。復元以後は、地域の広場として整備され、数多くの人々が訪れている。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 1106
ファイルダウンロード数 : 1228

全国のイベント

外部出力