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荼毘館遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/62829
引用表記 青森県埋蔵文化財調査センター 1988 『青森県埋蔵文化財調査報告書110:荼毘館遺跡』青森県教育委員会
青森県埋蔵文化財調査センター 1988 『荼毘館遺跡』青森県埋蔵文化財調査報告書110
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ファイル
書名 荼毘館遺跡
発行(管理)機関 青森県埋蔵文化財調査センター - 青森県
書名かな だびだていせき
副書名 津軽中部広域農道整備事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 青森県埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 110
編著者名
編集機関
青森県埋蔵文化財調査センター
発行機関
青森県教育委員会
発行年月日 19880331
作成機関ID 022012
郵便番号 0300042
電話番号 0177885701
住所 青森市大字新城字天田内152-15
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
現遺跡名:中別所館遺跡
所収論文
所収遺跡
遺跡名 荼毘館遺跡
遺跡名かな だびだていせき
本内順位
遺跡所在地 弘前市大字中別所字葛野149の1外
所在地ふりがな ひろさきしおおあざなかべっしょあざくずの149の1ほか
市町村コード 02202
遺跡番号 202091
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 403913.9
東経(世界測地系)度分秒 1402516.1
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 40.653861 140.421138
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19820809-19851106
19860918-19861031
調査面積(㎡)
2500
600
調査原因 広域農道整備事業
遺跡概要
種別
城館
時代
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
竪穴住居跡28
竪穴遺構2
掘立柱建物跡15
井戸跡6
土壙96
焼土遺構等20
溝状遺構63
掘跡3
主な遺物
土師器
須恵器
砥石
石硯
土製品(土師器・須恵器利用の土器片円盤等)
陶磁器(中国産白磁・青磁、瀬戸、珠洲、越前、信楽など)
鉄製品(釘・鎌)
鉄滓
銅製品(仏餉鉢か)
木製品(漆塗皿または椀、木偶か、木札状など)
羽 口
坩堝
銭貨
板碑
炭化米
特記事項 ・平安時代末期の集落の成立段階から、防御的色彩を持つ堀割りを有していた可能性がある。
・竪穴住居跡及び竪穴遺構は平安時代の可能性が高い。
・掘立柱建物跡15棟のうち1棟は掘方の大きさや柱間寸法の数値から平安時代と考えられる。他は時期を特定しがたい
・6基検出された井戸跡は3基が平安期以降、2基が15・16世紀以降である。
・土坑は大部分が平安時代と推定されるが、一部中世のものが散見される。
・溝状遺構の大部分は平安期であり、213号溝状遺構は中世、204・221号は近世以降と思われる。
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
土器(早期・中期・後期・晩期)
石器
青竜刀型石器
石棒
土偶
特記事項
要約  中別所館跡の「荼毘館」と呼ばれる曲輪の東端部とその北側の台地を調査した。調査の結果、本遺跡は縄文時代・古代・中世にわたる複合遺跡であることが判った。特に次の点が注目される。
1 従来認識されていた「荼毘館跡」より北側の地域も、中別所館跡の一部として把えられる。また堀や掘立柱建物跡が平安時代のものと思われることから、平安時代においても、そのような遺構の構築があったこと。
2 能登半島産とされる須恵器があり、近年分析例の増えている同地域の須恵器の県内への搬入が広くみられること。
3 これまで出土例の少なかった平安時代中頃から後半にかけての土師器(特に坏・皿類)が多数出土したこと。
4 14・15世紀代を中心とする陶磁器が、荼毘館跡およびその周辺で多く出土し、この地域がこの時期に城館あるいは生活の場としての性格を持っていたと思われること。

 本遺跡を含む中別所・宮館やその周辺の地域は、城館跡とされる遺跡が多く残されている。また、正応元年(1288年)などの年号をもった板碑群が2箇所(公卿塚、石仏)あり、中世初期から歴史の舞台となったところとされている。今回の調査によりこの地域は、平安時代後半からすでに大きな集落あるいは館としての性格をもち、珠洲Ⅱ期の出土や板碑の年代から13世紀代にも生活や祭祀の場などの性格を維持し、15世紀代にまでそのような営みがなされていたものと考えられる。

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