荼毘館遺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/62829 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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引用表記 | 青森県埋蔵文化財調査センター 1988 『青森県埋蔵文化財調査報告書110:荼毘館遺跡』青森県教育委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
青森県埋蔵文化財調査センター 1988 『荼毘館遺跡』青森県埋蔵文化財調査報告書110 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
wikipedia 出典テンプレート :
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ファイル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名 | 荼毘館遺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 青森県埋蔵文化財調査センター - 青森県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | だびだていせき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 津軽中部広域農道整備事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 青森県埋蔵文化財調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 110 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
青森県埋蔵文化財調査センター
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発行機関 |
青森県教育委員会
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発行年月日 | 19880331 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 022012 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 0300042 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0177885701 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 青森市大字新城字天田内152-15 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 |
現遺跡名:中別所館遺跡
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所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 中別所館跡の「荼毘館」と呼ばれる曲輪の東端部とその北側の台地を調査した。調査の結果、本遺跡は縄文時代・古代・中世にわたる複合遺跡であることが判った。特に次の点が注目される。 1 従来認識されていた「荼毘館跡」より北側の地域も、中別所館跡の一部として把えられる。また堀や掘立柱建物跡が平安時代のものと思われることから、平安時代においても、そのような遺構の構築があったこと。 2 能登半島産とされる須恵器があり、近年分析例の増えている同地域の須恵器の県内への搬入が広くみられること。 3 これまで出土例の少なかった平安時代中頃から後半にかけての土師器(特に坏・皿類)が多数出土したこと。 4 14・15世紀代を中心とする陶磁器が、荼毘館跡およびその周辺で多く出土し、この地域がこの時期に城館あるいは生活の場としての性格を持っていたと思われること。 本遺跡を含む中別所・宮館やその周辺の地域は、城館跡とされる遺跡が多く残されている。また、正応元年(1288年)などの年号をもった板碑群が2箇所(公卿塚、石仏)あり、中世初期から歴史の舞台となったところとされている。今回の調査によりこの地域は、平安時代後半からすでに大きな集落あるいは館としての性格をもち、珠洲Ⅱ期の出土や板碑の年代から13世紀代にも生活や祭祀の場などの性格を維持し、15世紀代にまでそのような営みがなされていたものと考えられる。 |