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筑後国三瀦郡衙跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/57927
引用表記 久留米市文化観光部文化財保護課 2011 『久留米市文化財調査報告書305:筑後国三瀦郡衙跡』久留米市教育委員会
久留米市文化観光部文化財保護課 2011 『筑後国三瀦郡衙跡』久留米市文化財調査報告書305
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wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=太郎|last=小澤|title=筑後国三瀦郡衙跡|origdate=2011-03-31|date=2011-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/57927|location=福岡県久留米市城南町15-3|ncid=BA62346008|series=久留米市文化財調査報告書|volume=305}} 閉じる
ファイル
書名 筑後国三瀦郡衙跡
発行(管理)機関 久留米市 - 福岡県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kurume.fukuoka.jp
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな ちくごこくみずまぐんがあと
副書名 古賀遺跡第1・2次調査
巻次 6
シリーズ名 久留米市文化財調査報告書
シリーズ番号 305
編著者名
編集機関
久留米市文化観光部文化財保護課
発行機関
久留米市教育委員会
発行年月日 20110331
作成機関ID 40203
郵便番号 8308520
電話番号 0942309225
住所 福岡県久留米市城南町15-3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 古賀遺跡 第1次
遺跡名かな こがいせき
本内順位 1
遺跡所在地 久留米市大善寺町宮本字東古賀907ほか
所在地ふりがな くるめしだいぜんじまちみやもとあざひがしこが907ほか
市町村コード 40203
遺跡番号 030762
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331634
東経(世界測地系)度分秒 1302851
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.276111 130.480833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20081126-20090319
調査面積(㎡)
438
調査原因 重要遺跡確認調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
鎌倉
室町
主な遺構
甕棺 4基
土壙墓 2基
竪穴住居 1軒
溝 2条
土坑 1基
主な遺物
弥生土器
石器
土師器
須恵器
古瓦
国産陶器
貿易陶磁器
特記事項 炭化米出土伝承地の東側を調査。官衙関連遺構については、検出できなかったが、弥生時代の墓地が広がっていたことが確認された。遺物には竹状模骨痕のある古瓦が出土し、近辺に公的施設の存在が想定される。
遺跡名 古賀遺跡 第2次
遺跡名かな こがいせき
本内順位 2
遺跡所在地 久留米市大善寺町宮本字東古賀902-22
所在地ふりがな くるめしだいぜんじまちみやもとあざひがしこが902-22
市町村コード 40203
遺跡番号 030762
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 331633
東経(世界測地系)度分秒 1302850
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.275833 130.480555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20081216-20081226
調査面積(㎡)
32
調査原因 専用住宅建設
遺跡概要
種別
官衙
時代
弥生
奈良
主な遺構
甕棺 1基
溝 1条
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
黒曜石剥片
特記事項 官衙関連遺跡の区画の可能性がある南北溝を発見。甕棺墓も検出した。
要約 (古賀遺跡 第1次)
終戦後の市営住宅造成の際、当調査地の西側で炭化米が出土したと伝わる。また、大善寺玉垂宮との位置関係から、縁起に描かれた「古賀軍司長者屋敷」の比定地となっている。今回は、上津荒木川に面した低台地上の東端部において、面的な調査を実施したが、これらに関連する遺構は検出されなかった。しかし、出土遺物には八女市牛焼谷窯跡産の可能性がある古瓦が見られた。この瓦は、広川流域の官衙関連遺跡や寺院などで出土しており、近辺に公的施設が存在する可能性がある。一方、弥生時代前期末~後期にかけての甕棺墓や土壙墓を検出しており、この台地が弥生時代の墓地であったことが判明した。
(古賀遺跡 第2次)
南北溝は、幅90cm、深さ70cmで断面形状は逆台形を呈し、掘削後維持管理されていたが、最終的には人為的に埋め戻されている。埋土中からは大量の甕棺片が出土し、埋め戻しの際に近辺の甕棺墓が相当数破壊されたものと思われる。埋土中からは甕棺に混じって、8世紀代の須恵器数点が出土しており、奈良時代の溝と考えられる。その規模や方向性から、官衙関連遺跡の区画溝である可能性がある。

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