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立馬1遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/26431
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.26431
引用表記 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2006 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告388:立馬1遺跡』財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2006 『立馬1遺跡』群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告388
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書名 立馬1遺跡
発行(管理)機関 (公財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 - 群馬県
書名かな だつめいちいせき
副書名 縄文時代早期・晩期および弥生時代の豊富な資料 / 八ツ場ダム建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 11
巻次
シリーズ名 群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告
シリーズ番号 388
編著者名
編集機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20061130
作成機関ID
郵便番号 377-8555
電話番号 0279-52-2511
住所 群馬県渋川市北橘町下箱田784番地2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 立馬遺跡
遺跡名かな だつめいちいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県吾妻郡長野原町大字林
所在地ふりがな ぐんまけんあがつまぐんながのはらまちおおあざはやし
市町村コード 10424
遺跡番号 37
北緯(日本測地系)度分秒 363255
東経(日本測地系)度分秒 1384100
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.5517 138.6802
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20011226-20011228
20020401-20020730
20050810-20051109
調査面積(㎡)
5738
調査原因 八ツ場ダム建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴住居
竪穴状遺構
土坑
焼土
集石遺構
主な遺物
土器
石器
特記事項 縄文時代晩期終末の竪穴住居、弥生時代中期後半の土器棺墓
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居
土坑
焼土
主な遺物
土器
石器
特記事項
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴住居
竪穴状遺構
土坑
焼土
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
紡錘車
鉄器
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物
土坑
主な遺物
陶器
鉄滓
古銭
特記事項 主な時代:中近世
要約 [立馬遺跡 要約]
本遺跡は吾妻川北岸の王城山南麓に位置し、大字林に属する。隣接する渓流は折の沢の支流立馬沢であり、近くに湧水点を持つ2つの流路が合流してできている。本遺跡は時代幅が長い。縄文時代草創期から弥生時代後期まで多少の消長はあるものの、連続して遺構と遺物があり、その後平安時代にも住居数軒営まれる。竪穴住居では、縄文時代早期2軒、晩期終末1軒、弥生時代中期2軒、平安時代4軒がある。うち、晩期終末のものは、女鳥羽川式土器という長野県に分布域を持つ土器を伴う。土坑は、墓穴などを想定させる小規模なものと、狩猟用の陥し穴とみられる大形の土坑86基がある。特に弥生時代中期後半では同時期の3号住居跡南側に隣接して、土器棺墓である58号土坑がほぼ完全な形で検出された。陥し穴とみられる土坑は、調査区全体に広く分布して確認される。特に平安時代のものは特筆される。29号土坑は10世紀前半に比定される4号住居跡を壊す陥し穴で、廃棄後は12世紀初頭の火山灰(浅間B軽石、粕川テフラ)に覆われており、時期が200年間内に限定される点で注目される。

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