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北垣遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/21892
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.21892
引用表記 静岡県埋蔵文化財センター 2012 『静岡県埋蔵文化財センター調査報告22:北垣遺跡』静岡県埋蔵文化財センター
静岡県埋蔵文化財センター 2012 『北垣遺跡』静岡県埋蔵文化財センター調査報告22
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書名 北垣遺跡
発行(管理)機関 静岡県埋蔵文化財センター - 静岡県
書名かな きたがきいせき
副書名 第二東名建設事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 森町-7/第二東名No.113地点2期
巻次
シリーズ名 静岡県埋蔵文化財センター調査報告
シリーズ番号 22
編著者名
編集機関
静岡県埋蔵文化財センター
発行機関
静岡県埋蔵文化財センター
発行年月日 20121225
作成機関ID 22000
郵便番号 4228002
電話番号 0542624261
住所 静岡県静岡市駿河区谷田23番20号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 北垣遺跡
遺跡名かな きたがきいせき
本内順位
遺跡所在地 静岡県周智郡森町円田字北垣710-1ほか
所在地ふりがな しずおかけんしゅうちぐんもりまちえんでんあざきたがき710-1ほか
市町村コード 22461
遺跡番号 151
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344926
東経(世界測地系)度分秒 1375432
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.823888 137.908888
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19990702-20000328
20000401-20010329
調査面積(㎡)
12200
調査原因 第二東名建設事業
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
土坑
溝状遺構
性格不明遺構
小穴
井戸
中世墓
近世墓
主な遺物
縄文土器
石器
弥生土器
土師器
須恵器
緑釉陶器
灰釉陶器
山茶碗
渥美
瀬戸美濃
常滑
初山
志戸呂
銅銭
銅錘
銅碗
キセル
用途不明鉄製品
鉄滓
石塔
かわらけ
鉄釘
陶磁器
特記事項 主な時代:縄文、弥生、古墳、奈良、平安、中世、近世、近現代
要約  北垣遺跡は、縄文時代中期後半~近世に亘る複合遺跡である。
 縄文時代は太田川中流域で遺跡数が増加する時期と呼応しており、この時期に人間の活動が活発化したことが窺える。
 弥生時代後期~古墳時代前期は竪穴建物と掘立柱建物の小規模な集落であった可能性が高い。出土遺物や竪穴建物が平面方形であることから弥生時代後期でも中葉以降古墳時代前期に主体を有する集落である可能性が高い。
 古墳時代後期~鎌倉時代までには継続的に集落であった可能性が高い。古墳時代後期~終末期には近接する尾根上に文殊堂古墳群や天王ヶ谷横穴墓群などの古墳・横穴墓が多数築造されており、集落の継続時期と古墳群の存続時期を比較すると北垣遺跡の集団は横穴墓群に埋葬された可能性が高いことを想定した。また、この時期の建物は遺跡内に万遍無く建物が建設されるわけではなく、いくつかのグループに分かれていた可能性が高い。鎌倉時代の集落内には小規模な仏堂が存在する集落であった可能性が高い。
 室町時代以降極端に出土遺物が減少するが、近接する香勝寺遺跡群などと比較すると、香勝寺遺跡群では15世紀以降の遺物出土が増加する傾向にあり、地域内の主体的となる集団や集落の変化があったことが想定できる。

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