奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41226 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132416 件
( 前年度比 + 1731 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147543 件
( 前年度比 + 2103 件 )
現在の文化財論文件数
120565 件
( 前年度比 + 1568 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1249 件
( 前年度比 + 199 件 )
※過去開催分含む

喜田盛遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/21534
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.21534
引用表記 沖縄県立埋蔵文化財センター 2011 『沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書59:喜田盛遺跡』沖縄県立埋蔵文化財センター
沖縄県立埋蔵文化財センター 2011 『喜田盛遺跡』沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書59
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=哲也|last=瀬戸|first2=千亜紀|last2=片桐|first3=里江|last3=徳嶺|first4=直美|last4=土肥|title=喜田盛遺跡|origdate=2011-03-31|date=2011-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/21534|location=沖縄県中頭郡西原町字上原193-7|ncid=BB06744012|doi=10.24484/sitereports.21534|series=沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書|volume=59}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 喜田盛遺跡
発行(管理)機関 沖縄県立埋蔵文化財センター - 沖縄県
書名かな きだもりいせき
副書名 平成22年度 県道真栄里新川線街路改良工事に伴う記録保存目的の発掘調査
巻次
シリーズ名 沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書
シリーズ番号 59
編著者名
編集機関
沖縄県立埋蔵文化財センター
発行機関
沖縄県立埋蔵文化財センター
発行年月日 20110331
作成機関ID 470007
郵便番号 9030125
電話番号 0988358752
住所 沖縄県中頭郡西原町字上原193-7
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 喜田盛遺跡
遺跡名かな きだもりいせき
本内順位
遺跡所在地 沖縄県石垣市字新川63-2
所在地ふりがな おきなわけんいしがきしあざあらかわ
市町村コード 47207
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
調査期間
20100707-20100806
調査面積(㎡)
50
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
集落
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
柱穴群
土坑
土坑墓
礎石
主な遺物
土器
中国産陶磁器(青磁
白磁)
貝類遺体
獣魚骨
本土産陶磁器
中国産陶磁器(青花)
近代陶磁器
台湾産陶器
金属製品
石製品
骨製品
貝製品
特記事項 平成12・13年度石垣市調査区と隣接しており、県道工事に伴う調査は今回で完了。
時代 : 近世から近代 中森期(15~17世紀)
北緯(日本測地系)24度20分46秒 東経(日本測地系)124度91分0秒
要約  県道真栄里新川線街路改良工事に伴う喜田盛遺跡の記録保存目的の発掘調査を実施した。本遺跡は、既に平成12・13年度に石垣市教育委員会が発掘調査を行っており、中森期を主体とした集落跡の様相がより明確にできた。遺構には、多くの柱穴群が分布しており、それを避けるように土坑墓が3基確認された。出土遺物の特徴から、中森期でも15世紀後半~16世紀が主体であることも確認できた。近世については17~18世紀の遺物は見られるが、それ以降の遺物は少なく、明和(1771年)の大津波の影響を受けたことが想定された。近代には、宅地として利用され、多くの近代陶磁器が出土する中で、台湾産陶器も見つかったことは近代史を考える上でも重要な資料と思われる。総括として、本遺跡が位置する四箇地域の中森期における集落跡の様相をまとめ、15~16世紀に幾つかの集落跡が各々屋敷地的なまとまりを持ちながら、それに近接して数基の墓が営まれていることを確認できた。今後の課題としては、約3km北東に位置するフルスト原遺跡のように、石垣囲いを有する集落跡との関係性などについて検討していく必要があろう。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 838
ファイルダウンロード数 : 485

全国のイベント

外部出力