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境矢石遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/20996
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.20996
引用表記 一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2015 『一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書6:境矢石遺跡』一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室 2015 『境矢石遺跡』一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書6
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ファイル
書名 境矢石遺跡
発行(管理)機関 (一財)米子市文化財団 - 鳥取県
書名かな さかいやいしいせき
副書名 一般国道180号(南部バイパス)道路改良工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次 5
シリーズ名 一般財団法人米子市文化財団埋蔵文化財発掘調査報告書
シリーズ番号 6
編著者名
編集機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行機関
一般財団法人 米子市文化財団 埋蔵文化財調査室
発行年月日 20150331
作成機関ID 31202
郵便番号 6830011
電話番号 0859260455
住所 鳥取県米子市福市281番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
発行年月日:表紙「2015」奥付「2015年3月」抄録「西暦2015年3月27日」
所収論文
所収遺跡
遺跡名 境矢石遺跡
遺跡名かな さかいやいしいせき
本内順位
遺跡所在地 鳥取県西伯郡南部町境
所在地ふりがな とっとりけんさいはくぐんなんぶちょうさかい
市町村コード 31389
遺跡番号 650
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352253
東経(世界測地系)度分秒 1332030
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.381388 133.341666
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100315-20120330
調査面積(㎡)
15400
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
弥生
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
落し穴
土壙墓
木棺墓
石列
貯蔵穴
土坑
土器溜
竪穴建物
段状遺構
掘立柱建物
横穴墓
版築状遺構
主な遺物
縄文土器
弥生土器
土師器
須恵器
陶磁器
管玉
管玉状石製品
ガラス製管玉
碧玉製管玉
ヒスイ製勾玉
滑石製臼玉
ガラス製小玉
鉄器
石器
耳輪
製塩土器
土馬
鞴刃口
銭貨
煙管
特記事項
要約 境矢石遺跡は、鳥取・島根県境の母塚山(標高272m)から北東へのびる丘陵からさらに南東に派生する支丘陵の先端と、この支丘陵を開折する谷部に位置する。調査の結果、縄文時代から近世の遺構と遺物を検出した。縄文時代は、丘陵部と谷部で落し穴を検出し、丘陵部と谷部とでは平面形態や底面ピットの有無に違いがある。弥生時代前期から中期は、木棺墓91基、土壙墓4基、石囲墓1基、墳墓関連の遺構と考えられる溝状土壙、弧状溝、土壙などを検出した。墓域は東西160m、南北55mを測り、基数のうえでも山陰最大級の集団墓地といえる。弥生時代後期から古墳時代中期には集落が形成される。丘陵部では、斜面を削平、造成した段状遺構内に竪穴建物や掘立柱建物などが構築される。弥生時代後期から古墳時代前期にかけては、集落は弥生時代前期から中期の墓域を避けるように形成されるが、古墳時代中期になると、弥生時代前期から中期の墓域と重複するように竪穴建物が構築され、墓域としての意識が失われる。古墳時代後期になると、集落の形成は断絶し、その後墓域となる。木棺墓、土壙墓、横穴墓が構築されるが、古墳は認められない。古代になると再び集落が形成されるようになり、丘陵部では、斜面を削平、造成した段状遺構内に掘立柱建物などが構築される。中世には、小規模な集落が形成され、中国産の陶器、青磁、白磁が出土しており、遺跡の性格を考えらる上では興味深い資料である。

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