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陶器城跡(北村砦跡)第3・4・5次発掘調査報告

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/140635
引用表記 堺市 文化観光局 文化部 文化財課 2022 『堺市文化財調査報告第53冊:陶器城跡(北村砦跡)第3・4・5次発掘調査報告』堺市
堺市 文化観光局 文化部 文化財課 2022 『陶器城跡(北村砦跡)第3・4・5次発掘調査報告』堺市文化財調査報告第53冊
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ファイル
書名 陶器城跡(北村砦跡)第3・4・5次発掘調査報告
発行(管理)機関 堺市 - 大阪府
書名かな とうきじょうあと(きたむらとりであと)だい3・4・5じはっくつちょうさほうこく
副書名
巻次 53
シリーズ名 堺市文化財調査報告
シリーズ番号 第53冊
編著者名
編集機関
堺市 文化観光局 文化部 文化財課
発行機関
堺市
発行年月日 20220331
作成機関ID 27140
郵便番号 5900078
電話番号 0722287198
住所 大阪府堺市堺区南瓦町3番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 陶器城跡(北村砦跡)第3・4・5次
遺跡名かな とうきじょうあと(きたむらとりであと)
本内順位
遺跡所在地 大阪府堺市中区陶器北
所在地ふりがな おおさかふさかいしなかくとうききた
市町村コード 27142
遺跡番号 285
北緯(日本測地系)度分秒 343100
東経(日本測地系)度分秒 1353129
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.5199 135.5219
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20180117-20180301
20191125-20191230
20201012-20201106
調査面積(㎡)
39
50
39.4
調査原因 範囲内容確認
遺跡概要
種別
城館
時代
古墳
中世(細分不明)
近世(細分不明)
近代(細分不明)
主な遺構
本丸跡
土塁
曲輪整地層
土坑
主な遺物
須恵器
土師質土器
瓦質土器
瓦器
陶磁器
特記事項 本丸跡に先行する堀と本丸跡の盛土、本丸跡の堀、南曲輪の土塁と堀、北曲輪の堀を検出
要約  陶器城跡(北村砦跡)には本丸跡や土塁などの遺構が現存している。文政2年(1819)作成の「大鳥郡陶器荘北村古塁之図」には、当時城館跡として認識された本遺跡が描かれている。絵図に描かれた城館跡の構造は、他の中世の城館と比べると異質な平面構造をもち大規模なものである。一方で曲輪間には形態や規模などに相違が認められることから、2つの曲輪には築造時期や機能に差があるという指摘がある。また、本遺跡は正平6年(観応2年、1351)の「陶器城」に比定されているが、それが事実か否かといった問題がある。
 今回は上記の問題を解決するため、遺跡の範囲や遺構の残存状況を把握するとともに、城館の築造時期や変遷などを課題として現況測量や発掘調査を実施した。
 調査の結果、遺構が地上と地下で良好に遺存していることを確認した。加えて、絵図に描かれた状況が、現存する遺構や現況の土地区画などに痕跡として残存していることが判明し、調査を実施していない場所でも遺構が遺存している可能性があると指摘した。本遺跡の変遷は、まず15世紀後半以前に本丸跡築造に先行する堀や南曲輪の堀や土塁などが設けられ、15世紀後半以降には本丸跡と2つの曲輪から成る全体の構造が整えられる。このことから本遺跡に中世の城館が所在していた可能性が高まった。
しかし、現状では本遺跡を中世の「陶器城」の比定地とするには慎重を期す必要があると判断した。
 近世にいたると、18世紀頃に土塁は拡張され、堀は再掘削及び埋め戻しがなされるなど既存の遺構の改変が起きる。そうした遺構の変遷と近世に本遺跡周辺を治めた小出氏の動態について比較した結果、17世紀の陶器藩の時期には小出氏の屋敷または家臣の屋敷が本遺跡にあったが、18世紀の小出氏再興後にはそれは他所へ移ったと推定した。
 「陶器城北村城跡之図」「陶器荘北村城跡」を紹介した。前者が下図、後者が現地調査時のメモともいうべき性格をもつと指摘し、これまで不明であった「大鳥郡陶器荘北村古塁之図」の作成過程についても言及した。
 以上より、本遺跡が市内に所在する中世の城や近世の陣屋の中でも良好な状態で現存する稀な遺跡、かつ地域史の一端を物語る貴重な遺跡であることが分かった。

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