明神下遺跡発掘調査報告書
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/131847 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.131847 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 2023 『岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書738:明神下遺跡発掘調査報告書』公益財団法人岩手県文化振興事業団 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 2023 『明神下遺跡発掘調査報告書』岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書738 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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書名 | 明神下遺跡発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | (公財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター - 岩手県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | みょうじんしたいせきはっくつちょうさほうこくしょ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 経営体育成基盤整備事業(若柳中部地区)関連遺跡発掘調査 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | 1・2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 738 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
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発行機関 |
公益財団法人岩手県文化振興事業団
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発行年月日 | 20230310 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 032018 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 0200853 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0196389001 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 岩手県盛岡市下飯岡11地割185番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 明神下遺跡は、胆沢扇状地の西端、胆沢川南岸の低位段丘上に位置する。なお遺跡には延喜式内社の一つ於呂𣏟志神閉志胆沢川神社(9世紀代は胆沢川神社)が隣接する。標高は127~130mである。 調査区は胆沢川に平行し、東西方向に長い。その全域で、平安時代(9世紀末~10世紀中頃)の竪穴建物跡を93棟確認し、本遺跡が平安時代の大規模集落であることが分かった。また、竪穴建物跡からは古代土器(土師器・須恵器)の他、鉄製品や鉄関連遺物が多数出土し、鍛冶を盛んに行った集落であったことが窺えた。また建物内からは、石帯8点がまとまって出土したり、カマド内から緑釉陶器片が出土しており、当時の官人が往来していたことを窺わせる。 他に、平安時代より古い陥し穴状遺構を33基、また古墳時代(6世紀中葉)と中世(16世紀頃)の墓壙を確認しており、平安時代の集落が営まれる前後の時代には、狩り場や墓域として、場を利用していたことも併せて分かった。 |