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上内手遺跡第10地点発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/130954
引用表記 富士見市遺跡調査会 2021 『富士見市遺跡調査会調査報告77:上内手遺跡第10地点発掘調査報告書』富士見市遺跡調査会
富士見市遺跡調査会 2021 『上内手遺跡第10地点発掘調査報告書』富士見市遺跡調査会調査報告77
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ファイル
書名 上内手遺跡第10地点発掘調査報告書
発行(管理)機関 富士見市 - 埼玉県
書名かな かみうちでいせきだい10ちてんはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 富士見市遺跡調査会調査報告
シリーズ番号 77
編著者名
編集機関
富士見市遺跡調査会
発行機関
富士見市遺跡調査会
発行年月日 20210331
作成機関ID
郵便番号 354-0021
電話番号 049-252-7138
住所 埼玉県富士見市大字鶴馬1873-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 上内手遺跡 第10地点
遺跡名かな かみうちでいせき
本内順位
遺跡所在地 埼玉県富士見市大字上南畑字上内手14-1、17、18-2、28-1、31-1、33-1、34-1、35-1、36、37-2
所在地ふりがな さいたまけんふじみしおおあざかみなんばたあざかみうちで14-1、17、18-2、31-1、34-1、35-1、36、37-2
市町村コード 112356
遺跡番号 24-053
北緯(日本測地系)度分秒 355200
東経(日本測地系)度分秒 1393304
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.8699 139.5479
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20180521-20180529
20180606-20180918
調査面積(㎡)
5843.52
調査原因 住宅造成、分譲住宅建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
分胴系石斧
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
方形周溝墓
主な遺物
手捏土器
器台
高坏
台付甕
特記事項 弥生時代後期~古墳時代初頭の竪穴住居跡16軒のほかに同時期の方形周溝墓が見つかっており、同時代の集落と墓域が隣接して形成されていたことが明らかとなった。
種別
集落
時代
平安
中世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物跡
井戸跡
墓坑
溝跡
土坑
主な遺物
高坏
台付甕
土師器坏
須恵器坏
須恵器高台付坏
須恵器甕
陶器碗
陶器甕
瓦質火鉢
羽口
五輪塔
銭貨
特記事項
種別
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項
要約  上内手遺跡南部に位置する第10地点の発掘調査が行われ、弥生時代後期~古墳時代前期の竪穴住居跡16軒、方形周溝墓1基、平安時代以降の掘立柱建物跡2棟、井戸跡6軒、墓坑1基、溝跡11条、土坑3基が検出された。
 弥生時代後期~古墳時代前期の竪穴住居跡からは、多量の器台や台付甕などの土器片が出土した。また、弥生時代後期~古墳時代初頭の方形周溝墓1基が検出され、周溝内からは赤彩された壺が覆土中層から出土した。出土状況から、壺は周囲に置かれていたものが時間の経過とともに周溝内に転げ落ちたものとみられる。なお、主体部は確認されていない。
 ほかに平安時代以降の掘立柱建物跡や江戸時代の土坑、まいまい井戸等も検出されており、当遺跡は弥生時代後期から江戸時代まで長く土地利用されていることが明らかとなった。

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