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本田遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/129413
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.129413
引用表記 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2021 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書471:本田遺跡』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2021 『本田遺跡』埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書471
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書名 本田遺跡
発行(管理)機関 (公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団 - 埼玉県
書名かな ほんだいせき
副書名 首都圏氾濫区域堤防強化対策における埋蔵文化財発掘調査報告
巻次
シリーズ名 埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書
シリーズ番号 471
編著者名
編集機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20210924
作成機関ID
郵便番号 3690108
電話番号 0493393955
住所 埼玉県熊谷市船木台4丁目4番地1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 本田遺跡
遺跡名かな ほんだいせき
本内順位
遺跡所在地 埼玉県加須市大字外野字本田203-5
所在地ふりがな さいたまけんかぞしおおあざそとのあざほんだ203-5
市町村コード 112101
遺跡番号 69-041
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 361045
東経(世界測地系)度分秒 1393751
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.179166 139.630833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200101-20200331
20200401-20200630
調査面積(㎡)
591
調査原因 堤防強化
遺跡概要
種別
その他
時代
江戸
明治
主な遺構
水塚
建物跡
蔵跡
石垣
石階段
埋設桶
石列
排水管
主な遺物
陶磁器
瓦質土器
在地産土器
石製品
鉄製品
銅製品
銭貨
特記事項 洪水に備えた水防施設(水塚)とそれに付随する建物跡等が検出された
要約  本田遺跡は利根川右岸の自然堤防上に立地し、現堤防裾まで100 mと至近距離にある。発見された遺構は水塚盛土1基と、水塚上に造られた建物跡1棟、土壙1基、石垣5箇所・石階段3基、石列1条、排水管3基、水塚南側の一段下がった場所から蔵跡1棟と埋設桶2基である。水塚は見かけの高さは約1.9 mである。利根川に面した北と西斜面の傾斜を急にすることで、氾濫に備えたと思われる。水塚上の第1号建物跡は、4間×2間半の身舎に東西と南に庇または下屋が取り付く。二階建ての可能性を持つ居住用施設と考えられる。身舎の隅柱と中間柱は凝灰岩切石を鉛直方向に据えた「蠟燭地業」を採用していた。石階段が3箇所設置され、建物南側の盛土下には第1号蔵跡が位置する。高さ約1m造成をした上に、基礎として凝灰岩切石を長方形に配した4 間半×2間5尺規模の建物である。南北棟の建物で堅牢なつくりである。
 出土遺物から蔵跡は幕末から明治時代初頭頃(19 世紀後半)、水塚盛土上の建物跡は19 世紀末頃建築されたと推定される。何故、相対的に低い場所に蔵を建てたのか、蔵と水塚建物の建築時期に差が生じたのか現状では不明であるが、調査例の希少な水塚の実態を知ることのできる貴重な資料が得られた。 

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