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東垣生八反地遺跡6次調査

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/115695
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.115695
引用表記 公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2022 『松山市文化財調査報告書204:東垣生八反地遺跡6次調査』公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2022 『東垣生八反地遺跡6次調査』松山市文化財調査報告書204
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書名 東垣生八反地遺跡6次調査
発行(管理)機関 松山市 - 愛媛県
書名かな ひがしはぶはったんじいせき
副書名 (仮称)新垣生学校給食共同調理場整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 松山市文化財調査報告書
シリーズ番号 204
編著者名
編集機関
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター
発行年月日 20220228
作成機関ID 38201
郵便番号 7918032
電話番号 0899236363
住所 愛媛県松山市南斎院町乙67 番地6
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 東垣生八反地遺跡6次調査
遺跡名かな ひがしはぶはったんじいせき
本内順位
遺跡所在地 愛媛県松山市東垣生町650 番1ほか
所在地ふりがな えひめけんまつやましひがしはぶちょう650ばん1ほか
市町村コード 38201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 334849
東経(世界測地系)度分秒 1324307
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.813611 132.718611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20200203-20200807
調査面積(㎡)
2088
調査原因 学校給食共同調理場整備事業
遺跡概要
種別
集落
田畑
時代
平安
鎌倉
室町
主な遺構
掘立
土坑
井戸址
柱穴
畦畔
鋤跡
足跡
主な遺物
土師器
須恵器
瓦器
施釉陶器
陶磁器
鉄器
木器
動物依存体
特記事項 室町時代以降の水田区画や規模を解明
要約  東垣生八反地遺跡6 次調査からは、水田址と集落址を確認した。水田址からは畦畔や鋤址、足跡を検出し、水田層中からは土師器や陶磁器(亀山焼・常滑焼・古瀬戸・白磁・青磁)などの破片が出土した。出土遺物より、水田の構築時期は13 ~ 14 世紀代、概ね室町時代以降と考えられる。検出した畦畔には規模の異なる大小2 種類があり、とりわけ幅3 mを超える大型の畦畔は周辺で実施した水田調査からは見つかっていない。大型畦畔の検出は水田形状や規模等、当時の水田様相を解明するうえで貴重な成果といえる。
 一方、集落址では掘立柱建物址や溝、土坑、井戸址、柱穴を確認した。建物址は13 世紀代、鎌倉時代の構築と考えられ、建物柱穴内には当時、使用された柱材の一部が遺存していた。検出した土坑のうち、7 基の土坑からは平安時代後期、11 ~ 12 世紀初頭に時期比定される完形品を含む良好な土器類が出土した。土坑出土品の底部調整をみると、回転ヘラ切り技法から回転糸切り技法へ移行する状況の一端が明らかとなり、これら出土品は今後、該期の土器様相を解明する重要な資料である。また、これらの土坑より後出する時期(12 世紀代)では、基底面に敷石が施され、その上面に厚さ10㎝程度の炭化物層が堆積する土坑1 基を検出した。他の土坑とは明らかに異なり、何らかの施設と考えられるが松山市内では類例がなく、用途や性格は不明である。このほか、井戸址からは井戸枠に使用されたと思われる木杭や板材が出土した。なお、井戸址からは11 ~ 13 世紀代の遺物が出土しており、建物や土坑、井戸は一定期間、同時併存していたものと考えられる。
 出土品には古墳時代後期から奈良時代に使用された土師器や須恵器のほかに、遺構や包含層などから緑釉陶器や灰釉陶器の破片が数点出土している。また、楠葉型の瓦器椀の破片が建物や井戸址から出土しているが、松山市内の古代・中世遺跡では圧倒的に和泉型が多く、本調査では楠葉型の占める割合が高いことが注目される。
 今回の調査により、松山市西部地域、余戸・垣生地区の平安時代から室町時代、概ね11 ~ 14 世紀代の集落様相や変遷の一部が明らかになった。同地区内では古代や中世以外にも弥生時代や古墳時代の集落址が発見されており、今後、資料の増加により地区内における集落変遷や構造の解明が急務となろう。

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